 【 歌劇「黒船」】 山田耕筰 〔日〕 (1886.06.09〜1965.12.29) 79歳

山田耕筰は、明治19年6月9日に東京で生まれた。 東京音楽学校本科声楽家を卒業後、 ドイツに渡りベルリン高等音楽学校で作曲を学んだ。
29歳のときに、わが国最初の交響楽団である 東京フィルハーモニー管弦楽団を組織し、 自ら指揮者をつとめたし、近衛秀麿と共に、 NHK交響楽団の前身である日本交響楽協会も 設立し、日本のオーケストラ活動の礎となった。
31歳のときには、ニューヨークのカーネギーホールで 自作の管弦楽曲を演奏し、欧米でも名の知れる 日本人音楽家の先鞭ともなった。
日本語独得の高低やアクセントと、日本特有の リズム感を生かした歌曲のスタイルを作り上げ、 日本楽界最大の指導者として活躍した。
歌劇「黒船」、交響曲「明治頌歌」、ピアノ曲など 多くの作品を作曲したが、特に歌曲の 「中国地方の子守唄」「待ちぼうけ」「この道」 「からたちの花」「野ばら」「赤とんぼ」など、 日本語の特徴をいかした優れた作品を 数多く残していて名品が多い。
それらの手法を用いて作曲したのが 歌劇「黒船」だが、あまり演奏されることはない。 彼の作品はどれも高い芸術性を持っていて、 世界的に広く認められている
東京オリンピックが開かれた翌年の、 昭和40年12月29日に79歳で世を去った。
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