 【 交響曲 第9番 ニ短調 】
ブルックナー,アントン 〔墺〕 (1824.09.04〜1896.10.11) 72歳

ブルックナーの父は、彼が13歳のときに 病気でなくなったが、父と同じ教師として、 学校に勤めながら音楽の勉強をした。
彼は敬虔なカトリック信者で、子供のような 純真な心情をもっていて、物質生活は質素で、 まったく世俗を超越した芸術生活を送り、 生涯独身を通した。
30歳を過ぎてから和声楽、体位法、管弦楽法、 楽式論といった作曲理論を本格的に学んでいるが、 音楽史のなかで珍しい存在だといわれている。
彼の音楽が世人に認められ、その名声が内外に 高まったのは、60代に入ってからだった。 人生の黄昏どきともいえる時期に入って、 あたかも落日が壮大な残照を残すかのように、 すばらしい傑作を生み出していった。
しかし、次第に健康状態が悪化し、 68歳のときにウィーンの宮廷オルガン奏者を、 70歳のときに音楽院の教授を退職した。
オーストリア皇帝からたまわった、ウィーンの シェーンブルンの家で永遠の眠りについたのは、 128年前の10月11日のことで、葬儀はウィーンの 全市民層の参加により盛大に行われた。
ブルックナーの交響曲は9つということになっているが、 第1番以前に「交響曲ヘ短調」(習作交響曲)と 「交響曲 第0番 ニ短調」の2つの完全な 交響曲を書いている。 しかし、その2曲は世間に発表することなく、 書庫の中に秘めたままだったが、 ブルックナーの死後に初演された、
最大の交響曲作家として、世界的に評価されるように なったのは、ブルックナーの死後20年もたった、 第一次世界大戦後のことだった。
彼の交響曲は、ベートーベンに範を求めた形式感と、 オルガンを想わせるような響きの分厚さ、そして 宗教的なたたずまいをもっている。
最後の輝きとなった超大作の第9番は、 亡くなるその日の午前中まで終楽章(第4楽章)の 作曲に携わったが、午後3時過ぎに息を引き取り、 全曲を完成させることなく72歳の生涯を閉じた。
初演が行なわれたのは、ブルックナーの死後 7年経ってからのことで、フェルディナント・レーヴェの 指揮により、ウィーンで行われた。
第1楽章 Feierich, misterioso 第2楽章 Scherzo: Bewegt, lebhaft 第3楽章 Adagio: Langsam feierlich

(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (指揮) レナード・バーンスタイン ♪ 私が聴いた音源 ♪
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