 【 弦楽四重奏曲 ホ短調 】
ヴェルディ,ジョゼッペ フォルトゥニオ・フランチェスコ 〔伊〕 (1813.10.10~1901.01.27) 87歳 心臓病

ヴェルディは、211年前の10月10日に 北イタリア北部の人家数十戸しかない、 レロンコーレ村の宿屋兼食料品店を営む 父カルロの長男として生まれた。
幼いヴェルディは、宿泊している行商人や 旅音楽師からいろいろな影響を受けた。 父親は音楽的素養があったわけではないが、 定宿にしていた旅音楽師が、幼いヴェルディの 音楽的素養を見抜き、音楽の道に進むよう進言した。 後年、ヴェルディが名を成した後、この老音楽師を 探し求めて報いたというエピソードがある。
ヴェルディは、名望家である父親の知人の パレッツィの紹介で音楽の勉強を続けることが できたが、後に子どものころから一緒に ピアノを弾いていた彼の娘のマルゲリータと 23歳で結婚し、幸福な生活をスタートさせた。 しかし、2年後に長女が、翌年には長男が 幼い生涯を閉じ、さらに翌年に妻も失った。
その時に励ましてくれたプリマ・ドンナの ジョゼッピーナと46歳のときに再婚をし、 長年ヴェルディの心を支えていたが84歳のときに 彼女を失い、3年後にホテルで上着を着ようとして 倒れたまま、87歳でこの世を去った。
1871年に歌劇「アイーダ」を書いたが、 ヴェルディは、このオペラのエジプトでの初演を含め、 「アイーダ」の上演に対しては、骨董品のように 陳列されるのは好まないとして、上演される 各地からの招待を断り続けたといわれる。
ところが、例外的なことにナポリへは、 監督と指揮を行なうため、リハーサルの段階から 訪れて、数週間にわたりこの地で過ごした。
1873年に作曲した「弦楽四重奏曲」は、 この期間に書かれた彼の唯一の 4楽章からなる 室内楽曲である。 単なる気晴らしで作ったものと言って、 友人達との内輪の演奏の他は、この曲の出版にも、 公開演奏にも、当時は応じることはしなかった。
第1楽章 Allegro 第2楽章 Andantino 第3楽章 Prestissimo 第4楽章 Allegro assai mosso

(演奏)ハーゲン弦楽四重奏団 ♪ 私が聴いた音源 ♪
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