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...... 2024年10月09日 の日記 ......
■ 《 母の一言 》   [ NO. 2024100901-1 ] ch

【 チェロ・ソナタ 第1番 ハ短調 Op. 32 】

サン=サーンス,シャルル・カミユ 〔仏〕
(1835.10.09〜1921.12.16) 86歳 心臓病



ルアンの近くにはサン=サーンスという小さな
町があるが、 サン=サーンスの父親の家系は、
ノルマンディの農家の出身だった。

189年前の10月9日にパリで生まれたが、
父親は生後間もなく亡くなり、母と大伯母から
教育を受けた。

大伯母はかなり優れたピアニストで、
サン=サーンスが3歳未満のころに最初の音楽の
手ほどきを行い、3歳のころにはすでにかなり正確に
ピアノを弾いたといわれ、5歳で作曲を始めるという
神童ぶりだった。

ピアニストとして楽壇にデビューしたのは10歳、
そのとき早くも成熟した演奏をしたといわれる。

17歳のときに、41歳のリストに会ったことは、
若いサンサーンスにとって大きな事件であった。
このときから2人の間には厚い友情が生まれ、
ピアノの巨匠から多くの影響を受けることになった。

サン=サーンスは、素晴らしい天分に恵まれた
作曲家であり、優れた技巧を持ったピアニスト、
オルガニストだったが、十九世紀フランスの
典型的な教養人の1人で、自ら詩を書き、劇作もした。

彼は長生きをしたこともあって、
全てのジャンルにわたり数多くの作品を書いた。

チェロ・ソナタは2曲書いている。
バイオリンの作品を書いて、十分に自信をもち
初めてチェロと取り組んだ最初の作品が
「チェロ・ソナタ 第1番」で、続いて書かれた
「チェロ協奏曲第1番」への準備ともなったと
考えられている。

彼はこの時期、母とともにパリに住んでいたが、
新しい作品が出来上がる度に
友人を集めては聞かせていた。

当時のサン=サーンスは、まだ作曲家としては
認められず、聴衆からも批評家からも非難され、
わずかに名ピアニスト、オルガニストとしての
彼の才能だけが評価されていた。

彼を理解する少数の友人のグループは、こうした
新作の私的発表を通じて彼を指示していた。

「チェロ・ソナタ 第1番」を作った時もこのようにして
友人たちに発表したところ、友人たちはいずれも
満足したが、皆が帰ってしまってから彼の母は、
この作品の第3楽章の終曲は非常に悪くて、
他の部分を汚すものだとはっきり言った。

憤慨したサン=サンースはいきなり終曲の楽譜を
引き裂き、8日間部屋に閉じこもったきり、食事の
ときしか現われず、しかも一言も口をきかなかった。
こうした劇的な8日間の後現在の終曲が
出来上がり、母も満足したという。

構成の巧みさ、終曲のりっぱな効果から、この曲は
彼の室内楽曲中の傑作とみなされている。

      第1楽章 Allegro 
      第2楽章 Andante tranquillo sostenuto
      第3楽章 Allegro moderato




(三重奏)オーストラリア三重奏団
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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