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...... 2024年10月01日 の日記 ......
■ 《 交響曲の大家 》   [ NO. 2024100101-1 ] sy

【 交響曲 第12番 ニ短調「1917年」Op. 112 】

ショスタコーヴィチ,ディミトリー 〔ソビエト〕
(1906.09.25〜1975.08.09) 68歳 肺癌



マーラー以降の最大の交響曲作曲家として、
ベートーベンやブラームス、マーラーらと並ぶ交響曲の
大家のショスタコーヴィチは15曲の交響曲を書いた。

作品番号が連続しているのは、「12番作品112」と
「13番作品113」だけである。

    交響曲 第1番 ヘ短調 作品10  (1925年)
    交響曲 第2番 ロ長調 作品14「十月革命に捧ぐ」(1927年)
    交響曲 第3番 変ホ長調 作品20「メーデー」 (1929年)
    交響曲 第4番 ハ短調 作品43  (1936年)
    交響曲 第5番 ニ短調 作品47  (1937年)
    交響曲 第6番 ロ短調 作品54  (1939年)
    交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」(1941年)
    交響曲 第8番 ハ短調 作品65  (1943年)
    交響曲 第9番 変ホ長調 作品70 (1945年)
    交響曲 第10番 ホ短調 作品93  (1953年) 
    交響曲 第11番 ト短調 作品103 (1905年) 
    交響曲 第12番 ニ短調 作品112 (1017年) 
    交響曲 第13番 変ロ短調 作品113「バビ・ヤール」(1962年)
    交響曲 第14番 ト短調 作品135「死者の歌」(1969年)
    交響曲 第15番 イ短調 作品141 (1971年)
           
1960年から1961年にかけて作曲された「交響曲12番」は
1917年の十月革命(ロシア革命)を題材とした
標題音楽で、レーニンを偲ぶ作品である。

1905年の第一次ロシア革命を描いた「交響曲11番」の
続編と考えられている。
この作品を作曲していた1960年、当局からの執拗な
勧誘に屈服し、ソ連共産党への入党を余儀なくされた。

これが苦渋の選択だったことは、同じ頃に作曲された
「弦楽四重奏曲 第8番」の悲劇的な曲調からも
うかがい知ることができる。
いわば、共産党への忠誠を示すために作曲された
「交響曲 第12番」は、こうした経緯からあまり芳しくない
評価を与えられてきた。

しかし、円熟期のショスタコーヴィチらしい充実した内容が
盛り込まれている作品となっている。

1961年10月1日にエフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮、
レニングラード・フィルハーミニー交響楽団により
初演された。

   第1楽章 Revolutionary Petrograd(革命のペトログラード)
   第2楽章 Razliv
   第3楽章 Aurora
   第4楽章 The Dawn of Humanity(人類の夜明け)

「ラズリフ」は、レーニンが革命のプランを練るために
潜んでいたペトログラード近郊の湖の名前。
「アヴローラ」は、巡洋艦アヴローラ、又はオーロラ号は
ネヴァ河から空砲で革命の合図を送った。




(管弦楽)スウェーデン放送交響楽団
(指揮) ダービッド・ベルクマン 
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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