 【 弦楽四重奏曲 ヘ長調「アメリカ」Op. 96 B.179 】
ドヴォルザーク,アントニン 〔チェコ〕 (1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 腎臓病→脳溢血

ドヴォルザークは典型的な朝方の芸術家で、 早寝早起きを励行し、毎朝4時に起きて 仕事を始めたという。
家族に対しては良き夫であり、良き父であり、 芸術家にありがちな奇行や偏屈なところが ほとんどなかった。 良妻に恵まれたことが、なによりの幸運だった。
彼が、音楽の次に汽車が好きだったことは 有名であるが、1892年9月に、ニューヨークの ナショナル音楽院の院長として滞在するため、 10日間の船旅を終えて新世界アメリカの土を 踏んでから、船にも魅了されたようだ。
1893年の夏、故郷からの移民団のいる アイオワ州のスピルヴィルに出かけて、 ボヘミアにいるような気持で毎日を過ごしながら 作曲したのが、弦楽四重奏曲「アメリカ」だが、 その少し前に交響曲「新世界」を作曲している。
郷愁にかられ、1895年には帰国してプラハ音楽院の 教授となり、教育者として大きな業績を残した。
弦楽四重奏曲は13曲以上作曲しているが、 なかでも最もよく演奏され、有名なのが 第12番「アメリカ」で、曲の中に黒人霊歌の旋律に 似たものを使っているため、もとは「ニガー」 (アメリカ黒人)と俗称されていた。
4楽章からなるが、感傷的で美しい第2楽章は 独立して演奏されることも多い。
ドヴォルザークの作品には、作品番号のないものや、 作曲順になってないものもあって、後にB番号 (ブルグハウザ=の整理番号)がつけられた。
第1楽章 Allegro ma non troppo 第2楽章 Lento 第3楽章 Molto vivace 第4楽章 Finale: Vivace ma non troppo

(演奏)グァルネリ弦楽四重奏団 ♪ 私が聴いた音源 ♪
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