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...... 2024年07月12日 の日記 ......
■ 《 チャイコフスキー国際コンクール 》   [ NO. 2024071201-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 第1番 変ロ長調 Op. 23 】

チャイコフスキー,ピョトル・イリイチ 〔露〕
(1840.05.07〜1893.11.06) 53歳 コレラ

クライバーン ,ヴァン (米〕
(1934.07.12〜2013.02.27) 78歳 骨癌 



チャイコフスキーは、ピアノ協奏曲を3曲書いた。
洗練された西欧趣味の華やかさはないが、
ロシア的主題も使ったスラブ的な重厚な線の太さと、
色彩的な管弦楽法が魅力となっている第1番が、
一番頻繁に演奏されている。

       第1番 変ロ短調 作品23(1875年)
       第2番 ト長調 作品44 (1880年)
       第3番 変ホ長調 作品75(1893年)

第1番を書いたのは、彼が34歳のときだったが、
モスクワ音楽院教授の職にあって、多くの作品を
発表し、すでに作曲家として相当に知られていた。

この曲が完成すると、チャイコフスキーは音楽院の
院長ニコライ・ルビンシテインと同僚に聞かせたが、
2人とも、ピアノに不適当だとか、けばけばしいとか
独創性がないなどと、悪評だった。

しかし、彼はこの曲に自信をもっていたので、
初演してくれるピアニストを探したところ
ドイツのハンス・フォン・ビューローが、独創的で
驚嘆すべき名曲であると認め、アメリカへの
演奏旅行にその楽譜を携えボストンで
初演を行ない、喝采をあびた。
その後の、モスクワでの初演も大好評だった。

このような事情で、この協奏曲はルビンシテインに
献呈されるはずだったが、ビューローに献呈された。

9歳でシューマンの義父(妻クララの父)のヴィークに
ピアノを学んだ ビューローは、27歳のとき、
リストの娘のコジマと結婚したが12年後には
離婚をし、コジマはワーグナーと再婚している。

90年前の7月12日にアメリカ・ルイジアナ州で
生まれたピアニストのクライバーンは、
4年に一度モスクワで開催される世界的に権威のある
「チャイコフスキー国際コンクール」では、
第1回(1958年)にピアノ部門で第1位に輝き、
一躍国民的英雄となった。

当時23歳だったが、4年後から「ヴァン・クライバーン
国際ピアノコンクールが開催されている。

2009年6月に行われたコンクールで、
当時20歳の辻井伸行の優勝は日本人として
史上初の快挙だった。

     第1楽章 Allegro non troppo e molto maestoso
     第2楽章 Andantino semplice
     第3楽章 Allegro con fuoco



(ピアノ)イエヒム・ブロンフマン
(管弦楽)バイエルン放送交響楽団
(指揮) マリス・ヤンソンス  
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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