 【 交響曲 第8番 ト長調 Op. 88 】
ドヴォルザーク,アントニン 〔チェコ〕 (1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 腎臓病→脳溢血
ジョージ・セル 〔洪〕 (1897.06.07〜1970.07.30) 73歳 癌

指揮者でピアニストのジョージ・セルは、 127年前の6月7日にハンガリーのブダペストで 生まれ、幼いころから音楽の才能をあらわしていた。
ウィーン音楽院でピアノ、指揮、作曲を学び、 作品ものこしたが、 R.シュトラウスに教えを受けた後、 指揮者の道を選んだ。
1939年にアメリカへの演奏旅行中に第二次世界大戦が 勃発し、そのままアメリカに定住した。
1970年5月、日本万国博覧会の企画の一環としての 公演のため、クリーヴランド管弦楽団と共に来日した。 高い評価を受け、聴衆に感銘を与えたが、 帰国後まもなくの7月30日に癌のため クリーブランドで急逝した。
彼は、完璧主義者と評されていて、演奏に厳しい 注文をつけ、演奏者から恐れられていたが、 クリーヴランド管弦楽団を第一級の オーケストラに育て上げた。
名演として、彼が指揮をして録音されたものの中に、 ドヴォルザークの「交響曲第8番」もある。
ドヴォルザークの交響曲は9曲ある。 彼の生前、番号なしの2曲(第3、第4)と 第1番から第5番(第6、第7、第5、第8、第9)が 出版され、永眠後、後の2曲(第1、第2)が現れた。 有名な曲としては、第2番=第7番、第4番=第8番、 第5番=第9番にあたる。
ドヴォルザークの交響曲の中で、第9番「新世界より」 に次いで、現在も広く知られているのが 48歳の時に作曲した第8番である。
ドヴォルザークの作品は、ブラームスの紹介で その作品を高く評価していたジムロック社から 出版されていたがジムロックとの口論から、 この曲はイギリスのノヴァロから出版されたため 「イギリス交響曲」とも呼ばれている。
しかし、曲の性格はイギリス的というよりも、 彼の作品の中でも最もボヘミアの 国民主義的色彩の濃厚なものである。
4楽章からなるが、悲歌の旋律で始まる第1楽章。 ドヴォルザーク的で田舎を思わせ、 小鳥の鳴き声も聞こえてくる第2楽章。 愛らしく、メランコリックな第3楽章。 第12変奏曲でできている第4楽章。
全体の構成はきわめて独創味にみち、 即興風なところさえあって、この曲を 交響詩と呼ぶ人も少なくない。
第1楽章 Allegro con brio 第2楽章 Adagio 第3楽章 Allegretto grazioso - Molt vivace 第4楽章 Allegro ma non troppo

(管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (指揮) ラファエル・クーベリック ♪ 私が聴いた音源 ♪
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