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...... 2024年05月25日 の日記 ......
■ 《 ロマンティック・バレエ 》   [ NO. 2024052501-1 ] or

【 バレエ組曲「コッペリア」】

ドリーブ,レオ 〔仏〕
(1836.02.21〜1891.01.16) 54歳



3幕からなる名作バレエ「コッペリア」は1870年の
5月25日にパリ・オペラ座で初演された。

元来、フランスはバレエ大国だが、1860年代の
フランス・バレエ界は低調を極めていた。
そこでオペラ座の経営者は、バレエ界に活を
入れようと意気込み、1867年に新進作曲家の
ドリーブに新作バレエ「コッペリア」の作曲を依頼した。

曲は1867年に完成したが、オペラ座は稽古と
上演準備に3年もかけ、そのため当初予定していた
主役のバレリーナとの契約が切れてしまった。
そこで、スワニルダ役には、イタリア出身の15歳の
天才少女バレリーナ、ジョゼッピーナ・ボツァッキが
抜擢された。

こうして、オペラ座の総力を結集した「コッペリア」は
ようやく初演の運びとなった。
皇帝ナポレオン三世を含む観客は、ボツァッキの
素晴らしい踊りと、ドリーブの優美な音楽に魅了され、
初演は大成功だった。

ところが、フランスとドイツの戦争のため、
オペラ座は8月31日に閉鎖され、皇帝ナポレオン三世は
9月2日に捕虜となり降伏、その日に振付師の
サン・レオンが心臓発作で死に、パリ包囲網最中の
11月23日には、天然痘の流行と栄養失調が、
主演の少女バレリーナ、ボツァッキの若い命まで
奪ってしまった。
それは、彼女の16歳の誕生日のことだった。

戦争が終わったものの振付師と主演バレリーナを
失った「コッペリア」の再演は容易ではなかったが、
翌年の秋には再演をし、観客の熱狂的な喝采を誘った。

フランスでは、その後バレエの衰退に歯止めを
かけることができなかったが、ドリーブの「コッペリア」が
示したロマンティック・バレエの理念は、ロシアの
チャイコフスキーに受け継がれ、発展していった。

ドイツの作家ホフマンの物語りによるこのバレエは、
ガリシアの境にある小さな町が舞台である。
主人公のスワニルダの恋人フランツが、
人形作りの老人コッペリウスの娘のコッペリアに
心が惹かれているのに嫉妬をする。

ある夜、スワニルダはコッペリウスの留守中に
仕事部屋に忍び込み、コッペリアが自動人形だとわかり、
人形が着ていた衣装を着替えて、コッペリアに
なりすまし、コッペリウスをからかう。

そして最後にスワニルダとフランツは仲直りをして、
めでたく結婚をするという楽しい騒動を描いている。

バレエ組曲「コッペリア」は、バレエ「コッペリア」の
音楽に基づいて形づくられた組曲で、
6つの部分からなっている。

       1、Prelude et Mazurka
       2、Scene et Valse de Swanhilde
       3、Csardas
       4、Scene et Valse de la Poupee
       5、Ballade
       6、Variation sur un theme slave



(管弦楽)スイス・ロマンド管弦楽団
(指揮) リチャード・ボニング  
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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