 【 歌劇「ミカド」(ティティプの町)】
サリヴァン,アーサー 〔英〕 (1842.05.13〜1900.11.22) 58歳

サリヴァンは182年年前の5月13日に、 ロンドンで生まれた。 父は英国軍楽学校教官だった。 彼は王室礼拝堂聖歌隊員を経て、 14歳で王立音楽院に入学したが、16歳で ライプチヒ音楽院に留学し、帰国後は 教会オルガニストを勤めながら、 活発な作曲活動をおこなった。
彼は生涯健康に恵まれず、肺炎のため ロンドンの自宅で58年の生涯を閉じた。
「ギルバート=サリヴァン・オペラ」といわれ、 台本作者のギルバートと組んだ作品を 次々と発表し、ロンドンでの人気を独占した。
ギルバートによる台本で作曲した作品は 比較的成功しているが、他の人の台本で 作曲したものは、ほとんど世にでてなく、 またギルバートにしても、サリヴァンが 作曲したもののみが大成功を収め、 他の人の作曲したものは比較的残っていない。
43歳の時の作品 「ミカド」の舞台は日本ではない。 エキゾチックで幻想的な笑劇を展開するのには、 西洋人が見てどこの国ともわからない日本は、 最も都合のよい当たりさわりのない舞台だったようだ。
帝の息子ナンキプーが、自分よりずっと年長の カティシャ(ナンキプーを愛している中年の 醜い貴婦人)との結婚を嫌って父の宮殿を抜け出し、 旅の歌い手に身をやつして諸国を遍歴するうちに、 美しい娘ヤムヤムに会い、恋に陥る・・・ 架空の奇抜な物語である。
第2幕で「宮さま宮さま、お馬の前に、ぴらぴら するのはなんじゃいな、トコトンヤレトンヤレナ」 と歌われるが、全曲中唯一の日本の旋律である。
この曲は、明治維新のころ官軍の行進曲として 流行った「トンヤレ節」で、17年後にプッチーニが 作曲した「蝶々夫人」でも使われている。
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