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...... 2024年05月06日 の日記 ......
■ 《奉祝曲》   [ NO. 2024050601-1 ] sy

【 交響曲 第1番 ニ長調 】

橋本 国彦 〔日〕
(1904.09.14〜1949.05.06) 44歳 胃癌



橋本国彦は明治37年9月14日東京本郷に生まれ、
東京音楽学校(現東京芸術大学)でヴァイオリンと
指揮を学び、 卒業後は、母校の教官に就任した。
(1930年代前半まで作曲科はなかった)

30歳の時に文部省からの派遣で、オーストリア、
ドイツに留学し、帰国後は、母校で理論や
作曲を教え、作曲活動に励んだ。

指揮者として活躍した朝比奈隆は、彼の
ヴァイオリンの弟子のひとりだが、門下には
芥川也寸志、團伊球磨、黛敏郎らがいる。

1945年の敗戦の翌年、橋本は戦争中の活動
(時局音楽を書いていた)に対する責任をとって
母校の教授職を辞した。
戦時期から戦後の価値転換期へとかかり続けた
ストレスは、確実に橋本の心身を蝕んだようである。

亡くなる前年、癌に倒れ、鎌倉で闘病中に
キリスト教に帰依した。
昭和23年5月6日、44歳の若さで天に召された。

彼の作品はあらゆる部門にわたるが、
歌曲を最も得意としていた。
昭和9年には、カンタータ「皇太子御生誕奉祝歌」を
作曲している。

昭和15年の作品の 「交響曲ニ長調」は、
皇紀2600年奉祝曲として作曲され、
奉祝演奏会で初演された。
奉祝曲は他にも伊福部昭、信侍潔、山田耕筰など
数人が書いている。

奉祝曲は海外にも依頼され、次の曲も演奏された。

ドイツ    リヒャルト・シュトラウス「祝典音楽」 
フランス   ジャック・イベール   「祝典序曲」 
ハンガリー  ヴェレシュ・シャーンドル「交響曲」  
イタリア   ピツェッティ      「交響曲イ調」

皇紀2600年=初代天皇の神武天皇が
即位した年からのカウント。

イギリスのブリテンの「鎮魂交響曲」は
演奏されなかった。

「交響曲ニ長調」は3楽章からなる。

        第1楽章 Maestoso
        第2楽章 Allegretto
        第3楽章 Temaー8つの変奏曲ーFuga



(管弦楽)東京都交響楽団
(指揮) 沼尻竜典   
     ♪ 私が聴いた音源 ♪




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