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...... 2024年05月05日 の日記 ......
■ 《 3つの前奏曲 》   [ NO. 2024050501-1 ] or

【 歌劇「パレストリーナ」の前奏曲による
                交響的三部作 】


プフィッツナー,ハンス 〔独〕
(1869.05.05〜1949.05.22) 80歳



ドイツの作曲家、指揮者のプフィッツナーは、
149年前の5月5日にモスクワで生まれた。

音楽家だった父から音楽を学び、音楽院を
卒業後は教師となったが、1908年から18年まで
シュトラスブルク市の音楽監督と同市の
音楽院院長をつとめた。
 
20年からは、ベルリン芸術アカデミーで、
その後はミュンヘン音楽院で教えた。

23年にプフィッツナーが入院したとき、
政権をとる前のヒトラーがお見舞いに訪れ
「私は政治の舞台でドイツの復興に努力しているが、
プフィッツナーもドイツ音楽の復興のために
戦って欲しい」と言ったといわれている。

しかし、ヒトラーが政権をとると、ナチスの
命令によって音楽活動を制限されるようになった。
47年10月、プフィッツナーはナチスの活動に
加担したとして、一級戦犯との訴状が提出された。

しかし、プフィッツナーはナチス党員では
なかったし、音楽活動を妨害され、作品の上演も
禁止されていたことなどの理由で、
無実の判決がくだされた。

彼の芸術を記念し、普及することを目的とする
プフィッツナー協会が1950年に設立されている。

80歳の誕生日を祝ってまもなく、
オーストリアのザルツブルクで亡くなった
プフィッツナーは、ウィーン・フィルハーモニーの
発起で、ベートーベンやシューベルトの眠る
ウィーン中央墓地の名誉墓所に葬られた。

反モダニズムを自称し、保守主義を押し通そうとした
プフィッツナーの音楽様式は、シューマン、ワーグナー
などのドイツ・ロマン派を基盤としていて、
「最後のロマン主義者」と呼ばれている。

十六世紀イタリアの作曲家パレストリーナを
えがいた、プフィッツナーの代表作の歌劇
「パレストリーナ」は、3幕からなる音楽物語りで
1915年に作曲したが、一般性に乏しい
作品ということで、3つの前奏曲をまとめて
「交響的3部作」としたものが親しまれている。

       第1幕 前奏曲 Ruhig (Andante)
       第2幕 前奏曲 Mit Wucht und Wildheit
       第3幕 前奏曲 Langsam,sehr getragen



(管弦楽)バイエルン放送交響楽団    
(指揮) ウォルフガング・サヴァリッシュ
        ♪ 私が聴いた音源 ♪





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