 【 スラブ舞曲 Op. 46、Op. 72 】
ドヴォルザーク,アントニン〔チェコ〕 (1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 腎臓病→脳溢血

62歳で世を去ったドヴォルザークの生涯は、 若いうちは大変苦労をしたが、30代の半ばに 栄光への道が開かれだしてからは幸運の連続で、 音楽史上まれにみる立志伝といわれるくらい 輝かしいものだった。
60歳のときにオーストリア政府より終身上院議員の 栄誉を受け、プラハ音楽院の院長にも就任し、 その年の誕生日には大々的な祝典が催された。
しかし、その2年後の1904年3月に倒れ、 腎臓病を患っていることが分かった。 彼が作曲した最後のオペラ「アルミダ」の 初演の後まもなくの5月1日、家族と共に昼食を とった直後に脳溢血に襲われ、そのまま生涯を閉じた。
それまで病気らしい病気をしたこともなく、 元気だと思い込んでいたドヴォルザークにとっては あっけない最期だった。
「スラブ舞曲」は、ブラームスの「ハンガリー舞曲」の スラブ版として作られ、当時から大変な評判だった。 「ハンガリー舞曲」と同じように、原曲は 2台のピアノによる4手連弾だが、すぐに 管弦楽用に編曲されている。 生き生きとしたリズムが、スラブの民族音楽の エネルギーを感じさせる。
「作品46」の8曲はピアノ連弾用として1878年に 出版したが、続いてこの8曲を管弦楽用に編曲した。 好評だったため1886年、さらに「作品72」の8曲を 「新スラブ舞曲」としてピアノ連弾用に作曲し、 同時にオーケストレーションをして出版した。
第 1番 作品46の1 ハ長調 第 2番 作品46の2 ホ短調 第 3番 作品46の3 変イ長調 第 4番 作品46の4 ヘ長調 第 5番 作品46の5 イ長調 第 6番 作品46の6 ニ長調 第 7番 作品46の7 ハ短調 第 8番 作品46の8 ト短調 第 9番 作品72の1 ロ長調 第10番 作品72の2 ホ短調 第11番 作品72の3 ヘ長調 第12番 作品72の4 変ニ長調 第13番 作品72の5 変ロ短調 第14番 作品72の6 変ロ長調 第15番 作品72の7 ハ長調 第16番 作品72の8 変イ長調
16曲の「スラブ舞曲」の中で最も抒情的な 第10番は後にクライスラーの編曲で、 ヴァイオリン独奏曲として有名になった。

(管弦楽)NHK交響楽団 (指揮) ローレンス・フォス
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