 【 古典交響曲 ニ長調 Op. 25 】 プロコフィエフ,セルゲイ 〔露〕 (1891.04.23〜1953.03.04) 61歳

プロコフィエフは、帝政末期のペテルブルグ 音楽院を優秀な成績で卒業し、有能なピアニスト、 作曲家としての地位をきずきつつあった。
ソヴィエト革命が起った1917年の夏、 ペテルブルグ近郊の田舎でたった一人で暮らしていた。 このころ第一次世界大戦はすでに始まっていたが、 父親のいない一人息子のため、召集を免除されていた。
彼は、意識的にピアノなしで作曲をしようと試み、 ハイドンの技法をもととし、「ハイドンが現代に 生きていたら書いたであろうような作品」 を書こうとした。
この経験は、「ピアノなしで考えた主題のほうが、 ピアノの上で考えた主題より、たとえ一見奇妙な ものでも、一層良質のものが得られる」と 確信するようになり、そして出来たものが 「古典交響曲」だった。 「現代人が住んでいる古い町」と評されたりもする。
第1楽章 Allegro 第2楽章 Larghetto 第3楽章 Gavotta-Non troppo allegro 第4楽章 Molto vivace
第3楽章では、古典時代の「メヌエット」のかわりに 「古典組曲」に由来する「ガヴォット」が書かれている。
1918年4月21日にプロコフィエフの亡命に先立ち、 レニングラードで彼の指揮で初演された。
その後、彼はシベリア経由で日本に渡り、 東京帝国劇場で演奏会の後、アメリカに亡命し、 シカゴその他で演奏活動をした。

(管弦楽)フランス国立管弦楽団 (指揮) ロリン・マゼール ♪ 私が聴いた音源 ♪
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