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...... 2024年04月21日 の日記 ......
■ 《 古典的 》   [ NO. 2024042101-1 ] sy

【 古典交響曲 ニ長調 Op. 25 】
    
プロコフィエフ,セルゲイ 〔露〕
(1891.04.23〜1953.03.04) 61歳



プロコフィエフは、帝政末期のペテルブルグ
音楽院を優秀な成績で卒業し、有能なピアニスト、
作曲家としての地位をきずきつつあった。

ソヴィエト革命が起った1917年の夏、
ペテルブルグ近郊の田舎でたった一人で暮らしていた。
このころ第一次世界大戦はすでに始まっていたが、
父親のいない一人息子のため、召集を免除されていた。

彼は、意識的にピアノなしで作曲をしようと試み、
ハイドンの技法をもととし、「ハイドンが現代に
生きていたら書いたであろうような作品」
を書こうとした。

この経験は、「ピアノなしで考えた主題のほうが、
ピアノの上で考えた主題より、たとえ一見奇妙な
ものでも、一層良質のものが得られる」と
確信するようになり、そして出来たものが
「古典交響曲」だった。
「現代人が住んでいる古い町」と評されたりもする。

        第1楽章 Allegro
        第2楽章 Larghetto
        第3楽章 Gavotta-Non troppo allegro
        第4楽章 Molto vivace

第3楽章では、古典時代の「メヌエット」のかわりに
「古典組曲」に由来する「ガヴォット」が書かれている。

1918年4月21日にプロコフィエフの亡命に先立ち、
レニングラードで彼の指揮で初演された。

その後、彼はシベリア経由で日本に渡り、
東京帝国劇場で演奏会の後、アメリカに亡命し、
シカゴその他で演奏活動をした。



(管弦楽)フランス国立管弦楽団
(指揮) ロリン・マゼール  
     ♪ 私が聴いた音源 ♪





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