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...... 2024年04月20日 の日記 ......
■ 《 狂喜乱舞 》   [ NO. 2024042001-1 ] sy

【 交響曲 第7番 イ長調 Op. 92 】
       
ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔独〕
(1770.12.17〜1827.03.26) 56歳



ベートーベンが42歳のときに作曲した
「交響曲 第7番」に副題はついてない。
後にリストはこの曲を「リズムの神化」と呼び、
ワーグナーは「舞踏の神化」と呼んだ。

シューマンの妻クララの父のヴィークは、
これはベートーベンが酔っぱらったときに
作曲したのではあるまいか?
(特に第1楽章と、第4楽章)と言ったという。
絶賛したのだが・・・

ベートーベンの9つある交響曲は、第1番は
例外として、偶数番のものは軽快優美であり、
奇数番のものは豪放雄大であるといわれるが、
第7番はそのうえに大変リズミカルである。

非公開の初演は、完成の翌年の1813年
4月20日にルドルフ大公の邸で行なわれた。
このとき、第8番(1812年10月完成)も
一緒に演奏された。

公開の初演はその年の12月8日、ウィーン大学の
講堂で開かれた、「ハナウ戦争傷病兵のための
慈善音楽会」で、ベートーベン自身の指揮で
おこなわれたが、ナポレオン軍に対する連合軍の
相次ぐ勝利で、愛国的な気勢が盛り上がって
いたため、音楽会は大成功をおさめた。

この「交響曲 第7番」も大好評で、第2楽章は
アンコールされたほどだった。
全曲を通して生命力にあふれ景気のよい響きがし、
当初から大好評をもって迎えられたが、あまりの
好評のため、後に何度も再演されたといわれている。

特色のある一つのリズムを押し通し、
狂喜乱舞の躍動的な第1楽章。 
シューベルトの「死と少女」の死の部分の
伴奏型を思い出させる主題の第2楽章。
ちぎっては投げ、ちぎっては投げるような速い
弾力のある底抜けに明るい第3楽章では、
昔のオーストリアの巡礼の歌からとったといわれる
風変わりな旋律がもとになり発展する。
狂喜乱舞の主題から大荒れに荒れて
踊り抜くような 第4楽章。

       第1楽章 Poco sostenuto - Vivace
       第2楽章 Allegretto
       第3楽章 Presto,assai meno presto
       第4楽章 Allegro con brio



(管弦楽)アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(指揮) エーリヒ・クライバー          
            ♪ 私が聴いた音源 ♪

(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   
(指揮) カルロス・クライバー          
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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