 【 ピアノ協奏曲 イ短調 】 レスピーギ,オットリーノ 〔伊〕 (1879.07.09〜1936.04.18) 57歳 心臓病
 類い稀なるオーケストレーションの名人として 知られているレスピーギの音楽は、師の リムスキー=コルサコフが鮮やかな水彩画とすれば、 彼は極彩色の油絵に例えられている。
色彩的な管弦楽法、フランスの印象主義音楽、 ドイツ的な構成など、いろいろな面をみせるが、 常に美しさに対する洗練された感覚と 流れるような抒情性をみせる。
作曲家として認められてから、ローマの サンタ・チェチリア音楽院で作曲を教え、有能な 作曲家を育て、10年後に院長に就任した。
レスピーギの名声は高まり、1932年には イタリア学士院の会員に選ばれ、34年には ハンガリー王立アカデミーの名誉教授に任命された。
しかし、限りなく永遠の都ローマを心から愛し続け、 演奏旅行以外はローマを離れることがなかった レスピーギは、36年の初めに軽い流行性感冒に似た 病気になりそれがこじれて、88年前の4月18日に 心臓病のため、ローマで生涯を閉じた。 遺体は生地のボローニヤに移され、 市の費用で埋葬された。
レスピーギは「古代ローマ帝国の復権」を訴えた 独裁者ムッソリーニの熱心な支持者だったが、 レスピーギの死の翌月、ムッソリーニは エチオピア併合を宣言し、2年後には ユダヤ人迫害が始まっている。
3楽章からなる「ピアノ協奏曲」は、 ロシア留学中にリムスキー=コルサコフに 学んでいた1902年の作品で、 ラフマニノフを思わせる魅力的な作品である。
第1楽章 Moderato - Allegro moderato 第2楽章 Adagio molto 第3楽章 Presto - Andante - Tempo T

(ピアノ)コンスタンティン・シチェルバコフ (管弦楽)スロヴァキア交響楽団 (指揮) ハワード・グリフィス ♪ 私が聴いた音源 ♪
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