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...... 2024年04月06日 の日記 ......
■ 《 代表的なバレエ音楽 》   [ NO. 2024040601-1 ] or

【 バレエ音楽「オルフェウス」】
         
ストラヴィンスキー,イーゴル 〔露〕
(1882.06.18〜1971.04.06) 88歳
                       

          
ストラヴィンスキーは、第一次大戦では、
戦火を逃れて母国ロシアを捨て、スイスに移住した。
さらに終戦後は、演奏の場を求めてフランスへ移り、
そこで、画家のピカソや作家のコクトーとの交流を
深めたが、この時期の作風は革新的なものから、
古典的な手法に変わった。

1938年に長女を結核で失い、翌年には
妻と母を相次いで病で失った。
第二次世界大戦から逃れることもあって、
ハーバード大学の招きで、単身アメリカに渡り移住。
翌年、画家のヴェラと再婚し、
新たな人生を歩き始めた。

二度の大戦で居住地を変えたが、作風も
大きく変わり自分にとっての新たな音楽を追い続け、
そこから独自のものを作り続けていった。
その探究心は、死の直前まで衰えず、病床でも
作曲を続け、最愛の妻が見守るなか、53年前の
4月6日にニューヨークで88歳の生涯を閉じた

彼は、社会的活動を全く好まず、音楽団体の
世話役や会長にも就任したことがなかった。
故国の革命にも無関心だったし、自身の創作を
妨げられることを避けた人生だった。

ストラヴィンスキーは、自分にとっての新たな音楽を
追い続け、そこから独自のものを作り続けていった。
その探究心は、死の直前まで衰えず、病床でも
作曲を続け、最愛の妻が見守るなか、42年前の
4月6日にニューヨークで88歳の生涯を閉じた。

彼は長い間問題の作家だった。
1930年代頃まで、1作品毎に大胆な実験を行ない、
常に「変貌」を続けていった。

1947年に書いた「オルフェウス」は、渡米後に
作曲した作品の中でも代表的なバレエ音楽で、
ギリシャ悲劇「オルフェオとエウリディーチェ」の
物語りにより、全3場でなっている。

第1場 オルフェウスー舞踏曲ー死の天使の踊りー間奏曲
第2場 怒りの踊りー舞踏曲(オルフェウスの踊り)ー 
    間奏曲ーパ・ド・ドゥー間奏曲ーパ・ダクシオン
第3場 オルフェウスのアポセシオン         



(管弦楽)ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団
(指揮) ネーメ・ヤルヴィ         
           ♪ 私が聴いた音源 ♪



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