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...... 2024年03月25日 の日記 ......
■ 《 印象主義的手法 》   [ NO. 2024032501-1 ] or

【 夜想曲(ノクテュルヌ)】
        
ドビュッシー,クロード・アシル 〔仏〕
(1862.08.22〜1918.03.25) 55歳 大腸癌



「近代音楽の父」といわれているドビュッシーは、
印象主義音楽を創始し、近代現代の音楽に
非常な影響を与えた重要な作曲家である。

十九世紀の後半期にフランスに起こった
印象主義運動は、音楽の世界にも
大きな影響をもたらし、ドビュッシーによって
印象主義音楽が作られた。

それは瞬間の感覚としてとらえた印象を、
主として和音を通して表現しようとするもので、
技法的には中世の教会調の復活、全音音階の創始、
不協和音の巧みな用法など、在来の音楽には
見られない革命的なものであった。

彼の音楽はあまりにも完成された
ひとつの世界であったので、その音楽を
直接継ぐものは現われなかった。
彼は、音楽上の印象派の最初のページを開いたが、
最後のページを閉じたのも、また彼であった。

ドビュッシーの家庭生活は波乱万丈だったが、
エンマと再婚し、彼が43歳の時に娘の
クロード=エンマ(愛称シュシュ)が誕生してからは、
親子3人で平和な喜びに満ちた日々を過ごしていた。
しかし、それは長くは続かず、ドビュッシーに
病魔が襲ってきた。

父親の死の8年後、母親の死の3年後、そして
愛娘のシュシュの死に先立つこと1年余り、
ドビュッシーは大腸癌のため、106年前の3月25日に
パリで55年の生涯を閉じた。

ドビュッシーは子供っぽい性質のため社交は苦手で、
パイプをくわえながら、ひとりで書斎を歩き回り、
とりとめのない夢想にふけり、少年のような
想像の世界に遊ぶのが好きであった。

印象主義音楽は、印象派の画家と同様に、たえず
移ろいゆく自然を音で表現しようとしたものであるが、
その印象主義的手法が確立されたのは、
この「夜想曲」においてであった。

Nocturnes(ノクテュルヌ=仏、ノクターン=英)
普通は「夜想曲」と訳される。
もともとピアノ曲の一様式名であり、合奏に
よるものとしては、「夜曲」と訳される様式でもある。

しかし、この「ノクティルヌ」は、これらの
様式によるものではない。
もっと彼自身の主観にもとずく自由な命名に
よるもので、装飾的な意味で使われていて、
この言葉に含まれる微妙に変化する光と影の
交錯などを、絶妙な管弦楽法を駆使して
表現している。

「ノクティルヌ」は、3曲で構成されている。

1、雲

悠久の大空。
ゆっくりとメランコリックな白い雲の流れ、
やがては灰色の苦悩の中に消えさってゆく。
なにかキラリとした、はかない輝きを残しながら・・

2、祭

賑やかな、楽し気な祭の幻影・・・。
踊るような雰囲気の運動とリズム、そこに突然、
光が眩しく差し込む。
また祭を横切り、その中に溶け込んでいく
行列のエピソード。

3、シレーヌ(人魚)

海と無数のリズム。
陽光に銀色に輝く波の間から、シレーヌたちの
神秘的な歌と笑い声が聞こえてくる。
16人の女性合唱がオーケストラの他に
編成されていて、歌詞はなく「アー」で歌われる。

この曲は、ドビュッシーの37歳のときに
完成したが、この年は親との不和をも押し切って、
リリー・テクシュと結婚した年である。

5年後には、裕福な銀行家のバルダック夫人の
エンマと愛しあうようになり、テクシュは
自殺未遂をおこすことになるのだが・・・



(管弦楽)クリーブランド管弦楽団
(指揮) ピエール・ブーレーズ 
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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