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...... 2024年03月22日 の日記 ......
■ 《 宮廷バレエ 》   [ NO. 2024032201-1 ] o

【 コメディ=バレ「町人貴族」】

リュリ,ジャン・パティスト 〔イタリア〕
(1632.11.29〜1687.03.22) 54歳



フィレンツェで生まれたリュリの少年時代の
教育については明らかではないが、14歳のときに、
モンパルシエ公女、アンヌ・マリ・ドルレアンの
イタリア語会話の練習相手に選ばれパリで
暮らすようになり、ギター奏者、ヴァイオリン奏者、
踊り手としての勉強をした。

21歳で、バレ・ド・クール(宮廷バレエ)の
踊り手としてデビューしたが、このとき、
一緒に躍った15歳のルイ14世はリュリを気に入り、
「器楽作曲者」の地位を与えた。
30歳のときには、フランスへの帰化を許可され、
作曲家のランベールの娘と結婚をした。

ルイ14世の病気快癒を祝う演奏会で
「テ・デウム」を指揮していたとき、持っていた
指揮杖で、誤って自分の足をついてしまい、
それがもとで337前の3月22日に世を去った。

当時は、大きな金属製の棒で床を叩いて、
音を出しながら指揮をしていた。
以後、指揮杖を持つ人はいなくなり、
指揮棒に変わったが、指揮棒を初めて
振ったのはウェーバーといわれている。

バレエはイタリアで発生し、ルイ王朝の
フランス宮廷で発達した。
ルイ十四世は舞踊の大家で、20年間
毎日稽古をしたといわれ、13歳のときに
舞踊家として初めて宮廷の催しに出演し、
その後18年間のバレエ経歴がある。

そのバレエの音楽を作ったのが、フランス・オペラの
創始者のリュリで、イタリアから入ってきた
歌劇にフランスの宮廷バレエの要素を加え、
フランス・バロック歌劇の基礎を確立した。

彼は、フランスのバレエの芸術的価値を
高めるうえに多くの力を尽くし、
コメディ=バレ(舞踊喜劇)と呼ばれる
新しい音楽形式を創り出した。

1670年の作品の「町人貴族」は、バレエと
喜劇とオペラの合体したもので、台本を
モリエール、振付けをボーシャンによって作られ、
その年にシャンポールで初演された。






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