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...... 2024年03月11日 の日記 ......
■ 《 聴くためのタンゴ 》   [ NO. 2024031101-1 ] ch

【 タンゴの歴史 】

ピアソラ,アストル 〔アルゼンチン〕
(1921.03.11〜1992.07.05) 71歳 脳血栓



タンゴの革命時といわれているピアソラは、
イタリア移民三世の子としてアルゼンチンの
マルデルプラタで生まれた。
幼少時代にニューヨークに移住し、その地で
過ごしたその間にバンドネオンを手にした。

33歳の時、クラシックの作曲家を目指し、フランスに
留学したが、自らの音楽はタンゴであることを
認識した彼は、翌年にアルゼンチンに帰国し、
それまでのタンゴの常識を覆すような
クラシックやジャズを取り入れた新しいタンゴを
創造し演奏活動を開始した。

タンゴを革命的に進化させたピアソラだったが、
あまりにも最先端をいくその音楽についていけない
人たちからは、「タンゴの破壊者」「頭が狂っている」
などと言われ、本場アルゼンチンのオールドファンには、
いまだにピアソラの音楽をタンゴとして
認めていない人もいたりする。

1960年には、その後の生涯の音楽活動の
基盤となるスタイルである五重奏団
「キンテート」を結成したが、1974年、
ヨーロッパに拠点を移し、ジャズ、ロックの
表現を取り入れた活動を行った。

1978年にアルゼンチンに戻り「キンテート」を
再結成し、以後10年にわたり安定し充実した
活動は続き、82年以降、計4回来日している。

1988年「キンテート」を解散し、心臓の手術を
受けたが、2年後パリの自宅で脳血栓で倒れ、
闘病生活を続けた。
作曲家、指揮者、バンドネオン奏者として、
ニューヨークやパリにも進出して活躍した
ピアソラだったが、さらにその2年後の7月5日に
ブェノスアイレスの病院で71年の生涯を閉じた。

「タンゴの歴史」は副題をもっている。

第1曲 1900年の売春宿     
第2曲 1930年のカフェ     
第3曲 1960年のナイトクラブ  
第4曲 1990年、現代のコンサート

それまでダンス音楽にすぎなかったタンゴを、
庶民の町の音楽から、コンサートホールで
演奏される音楽へというタンゴの変遷を30年毎に
区切り、その歴史をうつしだす作品となっている。
高度な音楽性を持たせた、
多くの作品の中の一曲である。



(フルート)パトリック・ガロワ 
(ギター) イェラン・セルシェル
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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