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...... 2024年02月29日 の日記 ......
■ 《 華麗な序曲 》   [ NO. 2024022901-1 ] or

【 歌劇「泥棒かささぎ」序曲 】



ロッシーニ,ジョアキーノ 〔伊〕
(1792.02.29〜1868.11.13) 76歳 直腸癌

美食家としても 知られている、イタリアの作曲家の
ロッシーニは、232年前の2月29日に
イタリアのペザロで生まれた。
父はトランペットとホルン奏者、母はソプラノ歌手で、
彼は1人息子だった。

子どものころは、父が望むようには音楽への関心を
示さなかったが、音楽学校時代から作曲を始め、
両親の知己もあり、早くから認められるようになった。

36歳のときに歌劇「ウィリアム・テル」を発表した彼は、
その後不眠症などに悩まされるようになり、
新しい歌劇創作の筆を折る決心をしたため、
「ウィリアム・テル」がロッシーニ自身が書きおろした
最後のオペラ作品となった。

十八世紀のイタリア・オペラは、 神話や古代の英雄を
題材としたものを「正歌劇」(オペラ・セリア)、
それに対し、庶民生活や人情話的な題材を扱ったものを
「喜歌劇」「軽歌劇」(オペラ・ブッファ)と言っていた。

ロッシーニはオペラ・ブッファ作家として、
19世紀前半のイタリアのみならず、
ヨーロッパ全域において歓迎された。
彼の作品は光に満ち、流麗な旋律にあふれ、
人物の描写も生き生きとしていた。

10代後半からオペラ・ブッファを作曲し、
名声を高め、イタリアの副王の力添えで兵役を
免除されるほどであった。
30歳のときに、ウィーンで彼の作品が上演された
機会に同地を訪れ、ベートーベンにも会っている。

「セビリアの理髪師」を書いた翌年の1817年に
ミラノで完成させたのが2幕のオペラ・ブッファ
「泥棒かささぎ」である。

25歳ながら歌劇作曲家としてのロッシーニは、
すでに円熟の域に達していた。

華麗な序曲は、演奏会のプログラムを飾ることが多い。

貧しい軍人の娘アネットは、銀製の食器を
盗んだ嫌疑を受けるが、持ち去ったのは
かささぎだったことがわかり、疑われた代償として、
身分が違うということで反対されていた結婚を
許してもらうという筋書き。



(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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