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...... 2024年02月08日 の日記 ......
■ 《 病の中で 》   [ NO. 2024020801-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 第3番 】
          
バルトーク,ベーラ 〔ハンガリー〕
(1881.03.25〜1945.09.26) 64歳 白血病
           

          
ヨーロッパにとって1939年は最も暗い年で、
ナチス・ドイツは3月にチェコに侵入、
9月にはポーランドに進撃し、
第二次世界大戦へと続いていった。

バルトークは、すでに最愛の祖国のくるべき
運命を予測し、ヨーロッパを離れる決心をした。
1940年10月にファシズムの嵐を避けて
ニューヨークへ亡命したが、彼の音楽は理解されず、
恵まれない生活を送ることとなった。

渡米後のバルトークの作品は「ピアノ協奏曲第3番」
「ビオラ協奏曲」「オーケストラのコンチェルト」
「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」の4曲だけだった。

彼は亡命5年後の9月26日の未明、
「ピアノ協奏曲第3番」の第3楽章の最後の17小節、
スコアで約2ページ足らずを残して、
白血病で世を去ったのである。

曲に終止符を打つよりわずかに早く、死が
彼の生命に終止符を打ってしまった。
この曲は略記号の指示があったので、
後に弟子のシェルリーがそれに従い完成させ、
オーケストレーションをした。

バルトークの白鳥の歌となった未完成の
「ビオラ協奏曲」を、完成させたのも、
シェルリーだった。

「ピアノ協奏曲第3番」は、完成の翌年の2月8日に
バルトークの弟子のジェルジ・シャーンドルの
ピアノと、ユージン・オルマンディーの指揮する
二人のハンガリー人のコンビと
フィラデルフィア管弦楽団により初演された。

この曲は、楽想や和声が温和で、形式も
モーツァルトを想わせるほど、簡潔平明で
長さも23分と長くはない。
第2楽章のレリジオーソ(宗教的に)は、
ベートーベンの「弦楽四重奏曲作品132」の
第3楽章を想わせる。

ベートーベンは、重い腸疾患から快復した
感謝の気持ちを「快癒に際して神への聖なる
感謝の歌、リディア調にて」と題したが、
バルトークは大戦によって失われた全てのものと、
やがて失われるであろう自らの生命への讃歌を
同じ形式でうたっている。

         第1楽章 Allegretto
         第2楽章 Adagio religioso
         第3楽章 Allegro vivace



(ピアノ)ゾルターン・コチシュ 
(管弦楽)ブタペスト祝祭管弦楽団
(指揮) イヴァン・フィッシャー
      ♪ 私が聴いた音源 ♪




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