 【 クラリネット協奏曲 第2番 変ホ長調 Op. 74 】 ウェーバー,カルル・マリア・フォン 〔独〕 (1786.11.18~1826. 06.05) 39歳 結核
 近年までウェーバーの誕生日は12月18日と されていたが、現在は洗礼の記録 その他に照らして、ちょうど1ヶ月前の 11月18日が正確な月日とされている。
ウェーバー家は貴族の家柄で、父親は男爵の 爵位を持っていたが、軍人、音楽家、役人として 不安定な生涯を送った。
彼の夢は、モーツァルトの父のように 息子たちを神童に仕上げることだった。 最初の結婚で生まれた2人の息子には期待した 成果は得られなかったが、50歳を過ぎてからの 再婚で生まれた息子ウェーバーによって、 年来の夢は達成した。
父親は、劇場の舞台監督兼楽長のような 仕事をしていたので、ウェーバーも一緒に各地を 転々としながら、父から音楽教育を受けていた。
ウェーバーは、柔らかな甘い音色で表現力に 富んでいるクラリネットを独奏楽器とする曲を いくつか書いているが、これらはどれも 美しい音色、優れた技巧、深い感受性の 持ち主だった優れたクラリネット奏者の ベールマンのために作曲した。
ポツダムに生まれたベールマン(1784~1847)は、 ベルリンの軍楽隊に所属し、後にミュンヘンの 宮廷管弦楽団に移った人で、ウェーバーばかりでなく、 マイヤベーアやメンデルスゾーンをも驚嘆させ、 彼のためにクラリネットの曲を書いている。
クラリネット・コンチェルティーノ(小協奏曲)は、 1811年に宮廷管弦楽団で発表したが、 この曲を聴いたバイエルン国王のマキシミリアンは、 深く感動し、直ちにクラリネットのための協奏曲を 2曲書くことをウェーバーに命じ、6月に 「ヘ短調作品73」を、7月に「変ホ長調作品74」の 2曲を相次いで作曲した。
第2番の「変ホ長調作品74」は、ミュンヘン郊外の シュターレンベルクで書き、11月25日に ベールマンの独奏により初演された。
第1楽章 Allegro 第2楽章 Andante con moto 第3楽章 Alla polacca

(クラリネット)ジェルバース・ド・ベイエ (管弦楽) ロンドン交響楽団 (指揮) コリン・デイヴィス ♪ 私が聴いた音源 ♪
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