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...... 2023年11月11日 の日記 ......
■ 《 映画音楽 》   [ NO. 2023111101-1 ] or

【 真昼の決闘 】
        
ティオムキン,ディミトリー 〔露→米〕
(1894.05.10〜1979.11.11) 85歳
           

              
ロシア人ながら、アメリカ映画音楽のスタイルを
作ったティオムキンは、ウクライナで生まれた。

父は病理学者だったが、ピアニストの母の影響で
音楽の道を選んだ。
ペテルブルグ音楽院でグラズノフに学び、
卒業後はピアニストのブゾーニに師事した。

24歳のときにピアニストとしてデビューしたが、
シャリアピンの紹介でアメリカに初の
演奏旅行をしたのは31歳のときだった。
その折に、オーストリアのバレリーナ、
アルベルティナ・ラッシュと知り合い結婚をした。

35歳のときにロシア革命に遭遇し、ベルリン経由で
2度目の渡米をし、そのまま移住した。
バレエ音楽などを書いていたが、
フランク・キュプラ監督の「失われた地平線」の
映画音楽の成功で本格的に
映画音楽の作曲家なった。

43歳のときに事故で右腕を骨折する大怪我をし、
ピアニストを断念し、指揮者、作曲家として
数々のハリウッド映画に係わった。
特に、西部劇音楽の第一人者だったが、
代表作としては、真昼の決闘(1952年)、
ジャイアンツ(1956年)老人と海(1958年)、
アラモ(1960年)、北京の55日(1963年)など
多くの作品を書いたが、アカデミー賞などの
数々の映画賞も受賞している。

1968年にハリウッドを去って、ロンドンに
移住したが、パリでも過ごした。
73歳のとき妻が亡くなり、78歳のときに
45歳年下の若い秘書と再婚した。
44年前の11月11日にロンドンのハイゲートの
自宅で85歳の生涯を閉じた。

ティオムキンは、オーケストレーションの
達人だったグラズノフに学んだこともあって、
重厚な弦楽合奏に独特の金管群の扱いを
交えた、個性豊かなサウンドを作り上げる
強みを備えていた。

フレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」は、
アカデミー作曲・アカデミー歌曲賞を受賞している。



(管弦楽) ビリー・ヴォーン管弦楽団
(指揮)  ビリー・ヴォーン    
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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