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...... 2023年11月08日 の日記 ......
■ 《 屈指の名作 》   [ NO. 2023110801-1 ] ch

【 ピアノ五重奏曲 ヘ短調 】
      
フランク,セザール・オギュスト 〔ベルギー〕
(1822.12.10〜1890.11.08) 67歳 肋膜炎
         

               
フランクはベルギーのリエージュでが生まれた。
銀行家の父は息子を華やかなピアノの
名手にしようとパリに移り住み、パリ音楽院で
作曲、ピアノ、オルガンを学んだ。

家系には画家が多く出ていて、知友も
芸術家が多かった。

しかし、フランクの求める音楽は父の意に反し、
彼はオルガン奏者となり、生徒を指導する傍らで
作曲をしていた。

当時のフランスの楽壇は、軽いオペラ作品が
世人の好みを支配していて、これもフランクの
目指すものではなかった。
カトリック教徒のフランクは、信仰のあつい
聖者のような、静かさをたたえた人間で、戦いを
いどまなかったので、俗世間からは離れていった。

だが、真剣に音楽を考える若い作曲家たちの中には
フランクの真摯な態度にひきつけられ
「フランキスト」と呼ばれる楽派を作っていった。

彼の傑作といわれる作品が生まれるのは
50歳を過ぎてからだったが、世間の人たちが
理解し始めたのは、亡くなる寸前のことで、
創作力の頂上に達しながら133年前の
11月8日に肋膜炎で67年の生涯を閉じている。

その数カ月前、音楽院の授業に行く途中、
往来で馬車のかじ棒に横腹を打たれ、
回復することはなかった。

50歳を越えた1879年に完成した
「ピアノ五重奏曲 ヘ短調」は、フランクの音楽の
特徴である循環的手法と、半音階的和声法が
用いられていて、全体にわたり幽玄な趣と
重厚な味わいにみちている。

完成の翌年の1月17日に、国民音楽協会の
演奏会で、サン=サーンスのピアノと四重奏団に
よって初演されたが、聴衆からはあまり好ましい
反応は得られなかった。
ピアノを弾いたサンサーンスも楽曲の真価を
理解せず、自分に献呈された譜面を、そのまま
ステージのピアノの上に置いたまま
帰ってしまったと伝えられている。

しかし今日では、屈指の名作であるばかりか、
シューマン、ブラームスのピアノ五重奏曲と共に
古今の名作に数えられている。

     第1楽章 Molto moderato quasilento
     第2楽章 Lento, con moto sentimento
     第3楽章 Allegro non troppo ma con fuoco



(ピアノ) パスカル・ロジェ 
(演奏)  イザイ弦楽四重奏団
     ♪ 私が聴いた音源 ♪





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