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...... 2023年11月06日 の日記 ......
■ 《 フィレンツエの想い出 》   [ NO. 2023110601-1 ] ch

【 弦楽六重奏曲 ニ短調 Op. 70 】
     
チャイコフスキー,ピョトル・イリイチ 〔露〕
(1840.05.07〜1893.11.06) 53歳 コレラ
     

       
チャイコフスキーは、1890年1月から4月まで
フィレンツエに滞在して、オペラ「スペードの女王」の
作曲をしたが、そのときに「弦楽六重奏曲ニ短調」の
スケッチを始め、ロシアに帰国後の6月から8月に
第1稿を完成させた。

9月に友人と非公開で演奏したが、1891年の暮から
翌年にかけて改訂し、その第2稿で1892年12月
8日にペテルブルク室内楽協会で 初演を行なった。

ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2の楽器編成で、
第4楽章からなる作品だが、標題のイタリア的な
旋律はなく、ロシア的な主題が多く使われている。

チャイコフスキーといえば、フォン・メック夫人
(1831年〜1894年)との関係で有名だが、
彼女は夫の莫大な遺産で暮らしていた未亡人で、
チャイコフスキーを崇拝し、毎年6000ルーブルの
お金を送っていた。

この教養深い夫人との文通による交際は彼が50歳まで
13年間続いていたが、ただ1度の偶然のめぐり会いを
のぞいて、生涯2人は1度も面会することはなかった。

この曲は、フォン・メック夫人に捧げるために
作曲されたが、そのころ彼女は健康を害していて、
1890年9月に二人の関係が絶たれたため、この曲は
ペテルブルク室内楽協会のメンバーに献呈された。

チャイコフスキーは「弦楽六重奏曲ニ短調」を初演した
翌年の11月6日に生水を飲んだことが原因で
コレラにかかり、ペテルブルクで53年の生涯を
閉じたとされているが、死因には諸説ある。

フォン・メック夫人は、チャイコフスキーが亡くなった
2カ月後に63歳で世を去っている。

フォン・メック夫人(1831.02.10〜1894.01.13)

      第1楽章 Allegro con spirito
      第2楽章 Adagio cantabile e con moto
      第3楽章 Allegretto moderato
      第4楽章 Allegro vivace



(ヴァイオリン) ゲンリフ・タラリャン       
(チェロ)    ムスティスラフ・ロストロボーヴィチ
(演奏)     ボロディン四重奏団        
            ♪ 私が聴いた音源 ♪




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