 【 ピアノ協奏曲 第4番 ハ短調 Op. 44 】 サン=サーンス,シャルル・カミユ 〔仏〕 (1835.10.09〜1921.12.16) 86歳 心臓病
 サンサーンスはピアノ協奏曲を5曲書いている。 第1番から第3番は、1860年代後半に 作曲しているが、第4番はサン=サーンスの 管弦楽曲の作曲のクライマックスの時期に作られた。
そのころのサンサーンスは、パリのマドレーヌ教会の オルガニストを務める一方で、1871年には、 歌手のロマン・ビュシーヌと共に国民音楽協会を設立し、 活発な活動を始めていた。
国民音楽協会は、フランスの器楽音楽の発展を 目指すために作られた組織で、会員にはフランク、 ラロ、フォーレなどの著名な作曲家が参加していた。 また、このころはパドルー、コロンヌなどが主催する オーケストラによるコンサート活動が盛んな時期だった。
「第4番ハ短調」は、楽曲全体の構成が2楽章に 分かれているが、それぞれ楽章がまた 2つと3つの部分に分かれていて、冒頭の主題は 曲全体にわたって形を変えながら様々に現れる。 当時、フランスではフランクやダンディが、 他の国ではドヴォルザークやチャイコフスキーらの 曲に使われた循環形式が用いられていた。
サンサーンス全体を楽想的に統一するために、 循環主題法を用いていて、3つの循環主題は、 れぞれの楽章の主題材料として活用されている。
胸をさすような希望のない悲しみに始まり、熱情的な 諦めの情感を経て、かすかな希望の光りが・・・ 最後は気高い精神状態に高められて曲は終わる。
このピアノ協奏曲は、86歳と長寿だった サン=サーンスが人生半ばの40歳のときに 作曲している。
1875年6月に亡くなったビゼーを偲ぶコンサートで、 名ピアニストだったサン=サーンスのピアノ独奏と コロンヌの指揮により、その年の10月31日に パリで初演された。 第1楽章 Allegro moderato - Allegro vivace 第2楽章 Allegro vivace - Andante - Allegro

(ピアノ) ジャン・フィリップ・コラール (管弦楽) ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 (指揮) アンドレ・プレヴィン ♪ 私が聴いた音源 ♪
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