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...... 2023年10月17日 の日記 ......
■ 《 バラード 》   [ NO. 2023101701-1 ] s

【 バラード 第1番 ト短調 Op. 23 】
       
ショパン,フレデリック・フランソア 〔ポーランド〕
(1810.03.01〜1849.10.17) 39歳 結核
            

            
ショパンは4歳のころからピアノの手ほどきを受け、
12歳からワルシャワ音楽学校校長の
エルスネルから学んだが、この優れた教師は
「若い天才を勝手にさせておけ」と、彼の才能を
自由に伸長するよう仕向けたといわれる。
それ以後は誰からも正規なピアノ・レッスンは
受けず作曲に集中した。

27歳のときから9年間、女流小説家の
ジョルジュ・サンドとの恋愛関係が続き、
この期間に最も円熟した多くの作品を書いている。

ジョルジュ・サンドはショパンよりも8歳年上で、
すでに結婚をしていたので、先夫との間に
2人の子どもがいた。
離婚後は彼女が育てていたが、子どもの
養育に関して2人の意見が合わなかったことが、
サンドとショパンの別離の原因だったといわれている。

彼女のもとを去ったショパンは、
再びサンドのもとに帰ることはなかった。
「なよやかな茎の上に青い花をのせた昼顔のようだ。
そのあまりにももろいかすかな花びらは、そっと手に
触れるだけでも、たちまち散ってしまいそうである」
友人のリストが言っている。

虚弱な体質に生まれたショパンの晩年は、
病める日々だったが、パリに移って19年後の8月、
病状が悪化し、姉のルドヴィカがパリに来て
看病にあたったが、10月17日午前2時に、
肺結核と咽頭結核で39年の生涯を閉じた。

マドリード寺院で葬儀、遺骸は10月30日
ベール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
棺の上には、ポーランドの土がまかれ、
心臓は遺言通り、ワルシャワに持ち帰られ、
聖十字架協会内に安置された。

「ピアノの詩人」といわれたショパンは、2つの
ピアノ協奏曲と4つのピアノとオーケストラのための
作品を残しているが、大部分がピアノ曲である。

自由な形式のバラードは4曲書いているが、
4曲とも3拍子系を使用している。
ポーランドの詩人のアダム・ミツキヴェヴィチの詩を
読んだときに受けた主観的情緒を、曲の中に
抽象的に吐露しているが、「標題音楽」のように
事物が写実的に描写されているわけではない。

初期の代表作の「バラード 第1番」を、シューマンは
「ショパンの全楽曲中で一番好きな曲は
第1番のト短調だ」とショパンに言い、ショパンも
また「私も一番好きな一つです」と答えたという。



(ピアノ)ウラディーミル・アシュケナージ
         ♪ 私が聴いた音源 ♪




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