 【 ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 Op. 23 】 チャイコフスキー,ピョトル・イリイチ 〔露〕 (1840.05.07〜1893.11.06) 53歳 コレラ ホロヴィッツ,ウラディミール 〔露→米〕 (1903.10.01〜1989.11.05) 85歳
 ピアノの巨匠ホロヴィッツは、120年前の 10月1日にウクライナで生まれた。 キエフ音楽院で学び17歳でデビューし、 演奏旅行を始めた。 当初それほどの評価は得られなかったが、 彼を成功に導いたのは、その4年後の ドイツのハンブルグでの出来事だった。
オーケストラ・コンサートのピアニストがキャンセルをし、 その代役を引き受けたところ、その演奏が 空前のできばえで、大成功に終わった。 その時に演奏したのが、チャイコフスキーの 「ピアノ協奏曲第1番」だった。
28年にニューヨーク・フィルと競演してアメリカで デビューし、そのころから世界的な 大ピアニストとして認められるようになった。
33年に大指揮者トスカニーニの娘ワンダと結婚し、 53年には病弱のため引退、その後はレコードへの 録音だけを行なっていたが、65年5月に カーネギー・ホールで12年振りのリサイタルを催し、 熱狂的な喝采をあびた。
78年には、アメリカ・デビュー50周年記念 コンサートをホワイト・ハウスで行なったが、 その11年後に85年の生涯を閉じた。
チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」は、 1874年から翌年にかけて作曲され、10月25日に 献呈したハンス・フォン・ビューローのピアノにより ボストンで初演され、喝采を博した。
その後、ヨーロッパ各地で演奏され、好評を博し 30代半ばの若きチャイコフスキーの名前を 一躍世に知らしめた作品となった。
第1楽章 Allegro non troppo e molto maestoso 第2楽章 Andantino semplice 第3楽章 Allegro con fuoco

(ピアノ)イェフィム・ブロンフマン (管弦楽)バイエルン放送交響楽団 (指揮) マリス・ヤンソンス ♪ 私が聴いた音源 ♪
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