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...... 2023年09月15日 の日記 ......
■ 《 マーラーの愛弟子 》   [ NO. 2023091501-1 ] sy

【 交響曲 第2番 ハ短調「復活」】
       
マーラー,グスターフ 〔オーストリア〕
(1860.07.07〜1911.05.18) 51歳 心臓病
        
ワルター,ブルーノ 〔独→米〕
(1876.09.15〜1962.02.18) 85歳   
     

           
マーラーの愛弟子で、マーラー演奏の
第一人者でもある名指揮者のワルターは、147年前の
9月15日にユダヤ人の子としてベルリンで生まれた。

ベルリンの音楽院で学んだ後、各有名な歌劇場の
指揮者として活躍したが、ナチスの台頭後は
フランスを経てアメリカに亡命した。

戦争終結後、大陸に戻ることはせず、日本には
一度も来日することなく、カリフォルニアの
ビバリー・ヒルズで85年の生涯を閉じた。

温厚で優雅なワルターの演奏は、自然の息吹を
感じさせながら、人生の哀しみやはかなさも失わない、
奥の深いものだった。

マーラーのの交響曲は規模が大きくて、声楽を
必要とするものがあるが、この第2番で使われて以後、
交響曲でしばしば声楽を用いるようになった。

また、構成的にも伝統的な4楽章制ではなくて、
5つの楽章をもっている。
このように、マーラー風の巨大さへの傾向の最初の
作品がこの交響曲であるといってもよい。
素朴な叙情性、線的対位法の愛好、民謡風な
旋律の使用などはマーラー的な特徴をもち、
野心的で意欲的な作品である。

「復活」は、クロプシュトックの「復活」という
讃歌に由来する。

マーラーは32歳のときに、大指揮者ビューローに
認められて、以後多忙で病弱なビューローを助けて、
代理指揮者となったり、補助指揮者となったりして、
ビューローから指揮に関していろいろと実地の
指導を受けた。

ところが、1894年2月12日にビューローは
エジプトで死去した。
ビューローの葬儀の時の印象をマーラーは
次のように書いている。

「私が味わった気分、死を考えた気分が私の
手をつけていた作品の精神にぴったりとあてはまった。
そのときに、オルガン伴奏のクロプシュトックの
「復活」の合唱が響いてきた。
電光のように私はこれにうたれた。」

30歳のときに書き始められた第2番は、ビューローの
葬儀までにすでに3つの楽章が書き上げられていたが、
その年に後の2つの楽章が書かれ、
全曲がハンブルクで完成された。

初めの3楽章までの器楽だけの部分は、
1895年の3月にベルリンでリヒャルト・シュトラウスの
指揮で初演されている。
R.シュトラウスは、当時のマーラーの数少ない
理解者で、前年に第1交響曲も指揮している。

全曲の初演はその年の12月にベルリンで
マーラー自身の指揮で行なわれた。

第5楽章のクライマックスは「生きるために死す。
汝わが心よ。汝は瞬時にして復活せん」と
復活の主題が歌われ、力強い崇高な響きの中で、
ゆっくりと締めくくられている。

      第1楽章 Allegro maestoso
      第2楽章 Andante moderato
      第3楽章 In ruhig flieBender Bewegung
      第4楽章 Urlicht
      第5楽章 Im Tempo des Scherzos



(ソプラノ)マリア・チェボターリ       
(アルト) ロゼッテ・アンダイ        
(合唱)  ウィーン国立歌劇場合唱団     
(管弦楽) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)  ブルーノ・ワルター        
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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