 【 交響曲第2番 ハ長調 Op. 61 】
シューマン,ローベルト・アレクサンダー(独〕 (1810.06.08〜1856.07.29) 46歳

1843年末から44年にかけて、シューマン夫妻は ロシアに演奏旅行をしているが、43年初めころから 起こった精神疾患は、44年になっても思うように 回復せず、療養のためにライプチヒから ドレスデンに転居をした。
その後45年には次第に回復し、クララとともに 対位法の研究をするようになり作品60の 「バッハの名による6つのオルガンまたは ピアノのためのフーガ」などが作られた。
大規模な作品としては「ピアノ協奏曲イ短調」 「交響曲第2番」などがある。
「交響曲第2番」は、1845年の暮にスケッチされ、 翌年になってオーケストレーションに取りかかったが 再び疾患は激しくなり、全体が完成したのは 10月になってからだった。
ある音楽家に宛てた手紙の中で 「この作品は苦しかった日々を思い出させます。 しかし、あなたのこの曲への興味からこのような 作品にも人は関心をしめしてくれることを 知りました。」と書いている。
出来上がった「交響曲第2番」は完成の年の 11月5日、ライプツィヒのゲヴァントハウス演奏会に おいて、メンデルスゾーンの指揮のもと初演された。
第1楽章 Sostenuto assai-Allegro ma non troppo 第2楽章 Scherzo Allegro vivace 第3楽章 Adagio espressivo 第4楽章 Allegro molto vivace

(管弦楽)北ドイツ放送交響楽団 (指揮) クリストフ・エッシェンバッハ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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