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...... 2023年09月02日 の日記 ......
■ 《 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 》   [ NO. 2023090201-1 ] sy

【 交響曲 第9番 ホ短調「新世界より」Op. 95 】
      
ドヴォルザーク,アントニン 〔チェコ〕
(1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 脳溢血
      
ノイマン,ヴァーツラフ 〔チェコ〕
(1920.09.29〜1995.09.02) 74歳    
         

      
ドヴォルザークが世を去った16年後にプラハで
生まれたノイマンは、プラハ音楽院でヴィオラと
指揮を学び、在学中からヴィオラ奏者として活躍した。

指揮者としてデビューしたのは1947年で、当時
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者だった
クーベリックが急病となり、その代役としてだった。

同管弦楽団の他、チェコの別の管弦楽団の
指揮も執りその後、東ドイツで活躍したが、
1968年にプラハの春にソヴィエトが介入した後、
祖国に戻った。

その後は20年以上にわたり、チェコ・フィルハーモニー
管弦楽団の首席指揮者を務め、同管弦楽団の
国際的な名声を築きあげた。

日本へも1969年に初来日以降、9度来日し
演奏会を行なっている。
28年前の9月2日、滞在先のウィーンで逝去した。

国外のツアーでは、ドヴォルザークやスメタナなど
自国の作曲家の作品をとり上げることが多かった。

「交響曲9番」は、ドヴォルザークが52歳のときの
作品で、アメリカ滞在中に書かれた。
彼は1892年に招かれて、ニューヨークの
国民音楽院の院長となっていた。

その年の暮に、黒人やアメリカ・インディアンの
民謡で暗示されたスケッチを書き、翌年の夏の
休暇にアイオア州のスピルヴィルに避暑に行き、
オーストレーションの大部分はここで書いた。

スピルヴィルには、彼と同国のボヘミアの移民が
多く住んでいたので、その人々の語る懐かしい
母国語の歓談を楽しみながら、心地よい
雰囲気の中で創作をすることができた。

第2楽章の郷愁の調べのラルゴの主題は
「家路」として、小学校の教科書に掲載されている。

       第1楽章 Adagio- Alleglo molto
       第2楽章 Largo
       第3楽章 Molto Vivace
       第4楽章 Allegro con fuoco



(管弦楽)NHK交響楽団     
(指揮) ヴァーツラフ・ノイマン
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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