[PREV] [NEXT]
...... 2023年08月18日 の日記 ......
■ 《 ジャズの手法 》   [ NO. 2023081801-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 第2番 Op. 43「ジャズ風に」】
         
シュルホフ,エルヴィン 〔チェコ〕
(1894.06.08〜1942.08.18) 48歳
            

                   
10歳のときに、ドヴォルザークの推薦により
プラハ音楽院のピアノ科に入学した。

12歳で ウィーンへ留学し、14歳でライプツィヒ音楽院で
19歳で ピアノにてメンデルスゾーン賞を受賞。


20歳のときに 第一次世界大戦勃発により、
オーストリア陸軍に従軍。

24歳のときには、 作曲家としてメンデルスゾーン賞を受賞。

29歳プラハに帰郷。ピアニスト兼作曲家として活躍。
       


同年発表したピアノ協奏曲「ジャズ風」は、
ジャズの手法を大胆に取り入れたピアノ協奏曲として、
米国のガーシュイン作曲「ラプソディ・イン・ブルー」より
2年先んじるものだった。



1933年からナチスの反ユダヤ政策により
演奏・作曲活動を制限され始める。
歌劇『炎』のベルリン初演への妨害その他で
キャリアに影を落とし始める。
ドイツ系ユダヤ人であった事や主張が前衛に
傾き過ぎた事により、ナチスから「退廃音楽」と
烙印を押された為だった。
    

ドイツ国内での演奏活動や作品出版が不可能になり、
共産主義的傾斜が顕著となった事で
チェコスロバキア政府からも危険視され始める。
 
       

プラハにてラジオ放送ピアニストになって日々の生活を
支える以外に活路を見出だす事が出来ない状態となる。


1939年(45歳) ナチス・ドイツがチェコに
侵攻したため、ラジオ放送収録を偽名で行う。


1941年(47歳)ソ連国籍を取得。
               


同年4月、ソ連渡航のためのビザを申請し、
6月13日に認可が降りていたが、ナチスドイツ軍の
ソ連侵攻によって出国が遅れ、6月23日に
プラハ市内でナチスに拘束されて、ヴュルツブルクの
ユダヤ人強制収容所へ移送された。

81年前の8月18日に、移送された収容所で
肺結核のため48年の生涯を閉じた。
               


第一次世界大戦以前と以降では演奏や作風が
異なっていて、ジャズのリズムから強い影響を受けた
前衛作品を次々と発表した。
                    
欧州のクラシック系作曲家としては早期にジャズから
インスピレーションを受けた作曲家の一人に数えられる。
                
ピアニストとしてはドイツ国内からフランス・英国でも公演。
ラジオ放送用音源として録音した自作のピアノ協奏曲を
含む自演録音(1928年)が近年になって復刻されている。
             

作曲家としては極めて柔軟なスタイルであり、
後期ロマン主義や印象主義・表現主義・新古典主義・
民族主義・社会主義リアリズム、ダダイズム等に反応し、
ジャズの手法にいち早く対応する等のオールマイティ性を
持っていた。
                


特に前衛作品は20世紀後半の時代を先取りした曲もある。
全曲“休符”のみの曲(Op.31−5)は、
ジョン・ケージの「4分33秒」(4分33秒間
“楽器を演奏しない”という奇妙な曲)を
予見したような発想の作品である。
                

1920年代、ダダイズムに傾倒していた時期の
シュルホフが残した言葉は自身の音楽に対する
批評として、その立ち位置と在り方を明確に示唆している。
                    
「私は今まで一度たりとて、同時代人のために
作曲をしたことも演奏をしたこともない。
彼らに  抗うべく作曲し、演奏してきたのだ」
        
「音楽とは精神の娯楽ではなく、何をおいても
身体の快楽であるべきだ」
          
1928年に録音した自作自演の演奏は、シュルホフ自身が
優れたピアニストであった事を証明して余りある。
青年時代はドビュッシーやスクリャービン等の
作品を演奏していたようであり、アカデミックな
作品演奏でも高評を得ていたという。

         
ユダヤ系であった為、ナチスの反ユダヤ政策の
犠牲になったピアニスト兼作曲家。
ジャズの手法をクラシックに融合させようとした点で、
ジョージ・ガーシュインを先取りし、前衛作品に於いては
ジョン・ケージをも先取りした。
故国に戻り、より活動を先鋭化していく前年に
ベルリンにて発表されたこのピアノ協奏曲「ジャズ風に
alla Jazz」にはこうした気概が
満ちているのが窺える。

第一楽章 Molto sostenuto

まずソロ楽器の在り方がいわゆる「協奏曲」と
毛色が異なることに気付かされる。
次々と新たな楽想がピアノから繰り出され、
オーケストラとの共生は規範に基づいたものではなく、
かなりフレキシブルである。
ただ、いわゆるジャズのビッグバンドふうではなく、
新古典主義的なニュアンスが強い。
 
第二楽章 Sostenuto

上昇と下降を繰り返すピアノをバックに不穏な
サウンドスケープがつくられる。
ピアノがクレッシェンドしながら下降するのを合図に
ショスタコーヴィチを思わせるかのような
スケールの大きなオーケストラが始まる。
静かに潜行する終盤、高音部でピアノがざわめき始める。

第三楽章 Allegro alla jazz 

そのまま享楽と狂騒が断片的にコラージュされる。
中間部に退廃感に満ちたジプシー風の
ヴァイオリンが挟まれることで、
フィナーレの熾烈が際立っている。



(ピアノ)ヤン・シモン       
(管弦楽)プラハ放送交響楽団    
(指揮) ウラディミール・ヴァーレク
       ♪ 私が聴いた音源 ♪




...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: