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...... 2023年08月14日 の日記 ......
■ 《 エロイカ 》   [ NO. 2023081401-1 ] sy

【 交響曲 第3番 変ホ長調 Op. 55「英雄」】
        
ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔独〕
(1770.12.17〜1827.03.26)  56歳
            
コンヴィチュニー,フランツ 〔独〕
(1901.08.14〜1962.07.28) 60歳
           

      
旧東ドイツの指揮者のコンヴィチュニーは、
122年前の8月14日にモラヴィア北部の
フルネクで生まれ、ベオグラードで
60年の生涯を閉じた。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で
ヴィオラ奏者として活動を開始し、
その後指揮者に転じた。

途中、他の管弦楽団で首席指揮者を務めたが、
1949年に戻り、亡くなった年までゲヴァントハウス
管弦楽団で首席指揮者を務めた。

その後、シュトゥットガルト歌劇場、
シューターツカペレ・ドレスデンベルリン国立歌劇場の
首席指揮者も務めた。

死の前年にはゲヴァントハウス管弦楽団と
初来日している。

演奏スタイルは重厚で骨太、半端なことでは
びくともしない演奏をしていた。
ベートーベンの作品は演奏会でも多く演奏したが
ゲヴァントハウス管弦楽団による交響曲全曲の
録音は評価が高い。

「交響曲 第3番」はベートーベンが34歳の
1804年の春に完成した。

〈自由・平等・博愛〉を旗印に絶対王制に戦いを
宣言したナポレオンという世紀の英雄を
讃えるために作られたが、この交響曲の総譜を
ナポレオンに献呈しようとしていたときに、
彼がフランス皇帝の王座についたことを知り、
激怒したという。

後年、ナポレオンが虜囚の身になり、
セント・ヘレナ島で死んだことを聞いたベートーベンは、
「17年も前に私は彼の哀れな最後にふさわしい
音楽を書いている」と・・・。
これが、第2楽章の葬送行進曲のことである。

この交響曲を作ったころ、耳の病が日増し悪化し、
聴覚を失うという音楽家として致命的な運命に
直面している。

〈・・・好ましい希望、少なくともある程度まで治る
という希望を、ぼくはここまでたずさえてきたのだが
・・・秋の木の葉が落ち、枯れるように、ぼくの
希望もまた、ぼくにとって枯れはててしまった・・・〉
有名なハイリゲンシュタットの遺書である。
しかし、この英雄を書くことによって、雄々しい
生の道を歩みつづけ、多くの名作を残した。

        第1楽章 Allegro con brio 
        第2楽章 Marcia funebre: Adagio assai 
        第3楽章 Scherzo: Allegro vivace
        第4楽章 Finare: Allegro molto



(管弦楽)ウィーン放送交響楽団 
(指揮) ベルトラン・ド・ビリー
      ♪ 私が聴いた音源 ♪




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