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...... 2023年07月31日 の日記 ......
■ 《 交響詩の創始者 》   [ NO. 2023073101-1 ] or

【 交響詩「タッソー」】
       
リスト,フランツ〔ハンガリー〕
(1811.10.22〜1886.07.31) 74歳 肺炎
             

               
リストが愛する神に召されたのは、旅先の
バイロイトでのことだった。
音楽祭に向かう途中風邪をひき、急性肺炎を
併発した彼は、137年前の7月31日
午後11時15分に息をひきとった。

葬儀は8月3日、バイロイトの全市をあげて行われ、
市立墓地に埋葬された。

リストは54歳のときに、カトリックの聖職者となる
手続きをとり、下級聖品(司祭以外の聖職者)の
儀式を受けていた。
その時から、彼はアベ・リストと呼ばれ、
死ぬまで神父の服をまとうことになった。

多感な青年時代に、リストはベルリオーズの
「幻想交響曲」に感銘を受け、単一楽章の
交響的な管弦楽曲の『交響詩』を創始した。

リストの交響詩は13曲あるが、2曲目となる
「タッソー」は、1849年に作曲したもので、
イタリアのルネサンス時代の叙事詩人の
タッソー(1544〜1595)を題材としている。

タッソーは、1575年に「開放されたエルサレム」
を発表し、名声を各地にひびかせた。
丁度そのころ、彼はフェララのアルフォンゾ公に
仕えていて、公の妹に恋をし彼女に多くの詩を捧げた。

しかし、公は彼が精神異常で常人ではないとして、
監禁してしまった。
1586年に脱出し、流浪の旅をしながら悲惨な
生活を送っていたが、ローマ法王クレメンス八世は
これを知り、栄誉ある詩人として月桂冠を
与えるべくローマに招いたが、これに間に合わず、
恵まれない生涯を閉じたのだった。

交響詩「タッソー」は、ゲーテにより詩に描かれ
1849年にゲーテの100年祭がワオマールで
行われる際に、この物語が上演されることになった。

リストはこの劇の序曲ともいえる音楽を
作曲するよう依頼され、自らが聴いたことのある
ヴェニスのゴンドラの水夫たちがヴェネチア民謡を
独特な歌い方をしているのが心に残り、
この一節の旋律を中核として構成されている。

         第1部 タッソーの悲しみ
         第2部 タッソーの勝利



        (管弦楽)ロンドン交響楽団
        (指揮) レオン・ボットスタイン
             ♪ 私が聴いた音源 ♪




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