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...... 2023年07月12日 の日記 ......
■ 《 トリニタ・シンフォニカ 》   [ NO. 2023071201-1 ] sy

【 交響三章 】
      
芥川 也寸志
(1925.07.12〜1989.01.31) 63歳 肺がん
       


戦後を代表する作曲家の芥川也寸志は、
文豪・芥川龍之介の三男として大正14年
7月12日に東京で生まれ、昭和を生き抜き、
平成元年1月31日闘病中の国立がんセンターで、
肺炎のため63年の生涯を閉じた。

23歳のとき「交響三章」でデビューをし、
25歳のときには「交響管弦楽のための音楽」で
NHK管弦楽懸賞の特選に入選した。
28歳で「弦楽のための三楽章」がアメリカの
カーネギー・ホールで初演されるなど、
戦後の日本音楽界でいち早く活躍を始めた。

子どものころ、父・龍之介の所有していた蓄音機で
ストラヴィンスキーの「火の鳥」や「ペトルーシュカ」
のレコードを毎日のように聴いた原体験に、
戦後すぐ日本に伝わってきたショスタコーヴィチや
プロコフィエフの音楽に、強い衝撃を受けた。

1954年秋、わずかなお金と自分の作品を持って、
芥川は憧れのソビエトに乗り込んだ。
当時、まだ日ソ間には国交がなく、ウィーンから
地下ルートで東側に入るという冒険だった。
いったんモスクワに着いたものの、事の成りゆきから
中国の上海にまで足をのばし、そこでは
持って行った自作の演奏会まで開いた。

モスクワに戻った芥川は、ショスタコーヴィチや
ハチャトゥリアン、カバレフスキーなどに会い、
自分の作品の「交響三章」などを批判してもらった。
そして「交響三章」別名「トリニタ・シンフォニカ」は
ソビエト国立出版社から出版され、その印税で
無事帰国することができた。

       第1楽章 Capriccio- Allegro
       第2楽章 Ninnerella: Andante 
       第3楽章 Finale- Allegro assai
            (Ninnerella=子守唄)

当時その出版社から出版された外国人の作曲家は、
アメリカのガーシュイン、イギリスのブリテン、
デンマークのニールセンと芥川だけだった。

彼は放送、バレエ、映画音楽、童謡など
現代的な作風で、多くの作品を残した。
都会的なダンディな風貌 、知的な柔らかい
おしゃべりで、テレビの音楽番組の
司会者としても活躍した。



(管弦楽)新交響楽団
(指揮) 飯守泰次郎
    ♪ 私が聴いた音源 ♪





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