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...... 2023年07月11日 の日記 ......
■ 《 アメリカ音楽 》   [ NO. 2023071101-1 ] or

【 ラプソディ・イン・ブルー 】

ガーシュウィン,ジョージ 〔アメリカ〕
(1898.09.26〜1937.07.11) 38歳 脳腫瘍



ニューヨークのブルックリンで生まれた
ガーシュウィンは、二十世紀前半に最もアメリカ的な
性格、手法を反映した作曲家にあげられるが、
ピアニストであり、ジャズソングの作曲家でもあった。

17歳のとき、ニューヨークの音楽屋の
ソング・プラッガー(店頭で客に乞われるままに、
そこで出版している楽譜をピアノで弾いて聴かせる職)
になり、多くの作品を研究することができた。

ガーシュウィンの両親は貧しいユダヤ系
ロシア移民で、父は自分の無学にひけ目を
感じていたので、子どもたちには、
正規の教育を受けさせたいと考えていた。

兄がピアノを習い始めると、ガーシュウィンは
異常な興味を示すほど音楽好きだったが、
優れた画才もあった。

「ラプソディ・イン・ブルー」は、ジャズ王
ポール・ホワイトマンの依頼で彼の
ジャズバンドのために企画した近代音楽の実験と
称する演奏会のために書かれ、1924年の初冬、
ニューヨークでガーシュウィンのピアノ独奏と
ホワイトマン楽団によって初演された。

当日の聴衆の中には、ハイフェッツ、クライスラー、
エルマン、ラフマニノフ、ストコフスキー、
ストラヴィンスキーなどの歴々の顔が揃っていた。

アメリカン・ジャズと、交響管弦楽とを巧みに
混合させた作品だが、当時のガーシュウィンは
オーケストレーションに精通してなかったので、
「グランド・キャニオン」の作曲者として知られる
グローフェがジャズバンド用に編曲した。

このオリジナル版第1版から、グロフェは更に
シンフォニーオーケストラ用第2版にも編曲していて、
ガーシュウィンの代表作となった。

「この曲は、きわめて手軽に書かれたものなので、
鑑賞にあたって内容を詮索することは全く無用で、
花電車が連なって進行するのでも眺めるように、
気軽に変転する曲想をたどってゆくことが、
少なくともこの作品を鑑賞する態度として、
最も相応しいものであると思う。」
(ある音楽評論家の評)

ガーシュウィンは、最後の作品となった
「ゴールドイン・フォリーズ」の完成をまたず、
86年前の7月11日の朝、脳腫瘍のため
ハリウッドで 急逝した。
独身を通した39年の短い生涯だった。



(ピアノ)ジェームズ・レバイン
(管弦楽)シカゴ交響楽団   
(指揮) ジェームズ・レバイン
     ♪ 私が聴いた音源 ♪





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