 【 唱歌「母の歌」】
下総 皖一 (1898.03.31〜1962.07.08) 64歳
野上 弥生子 (1885.05.06〜1985.03.30) 99歳

作曲家、教育家として活躍した下総皖一は、 明治31年に埼玉県で生まれ、昭和37年 7月8日に64年の生涯を閉じた。
東京音楽学校(現東京芸術大学)で、 作曲を信時潔に師事したが、首席で卒業し、 後にベルリン芸術大学でヒンデミットに師事した。
卒業後は、母校の芸大で教えたが、 團伊玖磨、芥川也寸志は、門下である。 ブラームス、ヒンデミット系のドイツ音楽語法の 先駆者となった。
「花火」(井上赳作詞)、「野菊」(石森延男作詞)、 「たなばたさま」(権藤はなよ/林柳波作詞)など、 童謡、文部省唱歌、校歌、その他 多くの作品を残している。
野上弥生子作詞、下総皖一作曲の「母の歌」は、 昭和18年に文部省初等音楽教科書に 文部省唱歌として、掲載された。
明治18年に大分県で生まれた小説家の 野上弥生子は多くの作品を書いたが、 翻訳したものもある。 詩の作品は珍しい。

母の歌
母こそは 命のいずみ いとし子を胸にいだきて ほほ笑めり 若やかに うるわしきかな 母の姿
母こそは 千年の光 人の世のあらあんかぎり 大いなるかな 母の姿
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