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...... 2023年07月05日 の日記 ......
■ 《 ジャズとタンゴ 》   [ NO. 2023070501-1 ] or

【 タンガータ 】

ピアソラ,アストル 〔アルゼンチン〕
(1921.03.11〜1992.07.05) 71歳 脳血栓



ピアソラは、イタリア移民三世の子として
アルゼンチンのマルデルプラタで生まれた。
3歳のときに家族と共にアメリカに渡り幼少時代を、
ニューヨークで過ごした。

9歳の誕生日にバンドネオンを贈られ、
これが彼の一生の仕事を決めることになった。
15歳のときに一家は、再びアルゼンチンに戻った。

ヴァノスアアイレスで作曲を学んだが、
バッハやラフマニノフの熱心なファンだった
ピアソラは、33歳の時、クラシックの作曲家を
目指し、フランスに留学した。

そこでコープランドをはじめとして、数々の作曲家を
育てた名教師であり、初めての女性指揮者としても
活躍していたナディア・ブーランジェの薫陶を受けた。

そのブーランジェから助言された
「タンゴこそピアソラだ。タンゴから離れてはいけない」
と言う言葉が胸に響き、自らの音楽は
タンゴであることを認識しした彼は、アルゼンチンに
帰国後は、ジャズや近代音楽の要素を取り入れながら
新感覚のタンゴの数々を作った。

ヴァノスアアイレスのタンゴバンドで、
バンドネオン奏者として活躍し、一方で作曲家の
ヒナステラなどから、音楽理論も教わって、
タンゴのリズムを基調に斬新なリズムと和声を
用いたピアソラ独特の世界を作り上げ、
それまでのタンゴの常識を覆すようなクラシックや
ジャズを取り入れた、新しいタンゴを創造し
演奏活動を開始した。

タンゴを革命的に進化させたピアソラだったが、
あまりにも最先端をいくその音楽についていけない
人たちからは、「タンゴの破壊者」「頭が狂っている」
などと言われ、本場アルゼンチンのオールドファンから、
ピアソラの音楽をタンゴとして認めない人もいた。

1960年には、その後の生涯の音楽活動の
基盤となるスタイルである五重奏団「キンテート」を
結成したが、1974年にヨーロッパに拠点を移し、
ジャズ、ロックの表現を取り入れた活動を行った。

1978年にアルゼンチンに戻り「キンテート」を
再結成し、以後10年にわたり安定し充実した
活動は続き、82年以降、計4回来日している。

1988年「キンテート」を解散し、心臓の手術を
受けたが、2年後パリで脳血栓で倒れ、さらに
その2年後の7月5日にブェノスアイレスで
71年の生涯を閉じた。

「タンガータ」は1970年にワシントンで初演された
管弦楽のための作品で、ピアノは使われるものの、
得意とするバンドネオンは用いられていない。

曲は重々しい雰囲気の弦楽合奏で始まり、
フルートとクラリネットによる短い
ファンファーレをはさんでジャズの要素を持つ
リズミカルな部分へと移る。

(タンガータ=ソナタ形式のタンゴ)



(管弦楽)ニュー・ワールド交響楽団   
(指揮) マイケル・ティルソン・トーマス
        ♪ 私が聴いた音源 ♪
    



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