 【 ターフェルムジーク 第3集から 「協奏曲 変ホ長調」】
テレマン,ゲオルク・フィリップ 〔独〕 (1681.03.14〜1767.06.25) 86歳

十八世紀前半のドイツ・バロック音楽が 華やかな繁栄の頂点を迎えているころ活躍した テレマンは、プロテスタントの牧師を父に、 マグデブルクで生まれ、256年前の6月25日に ハンブルクで86年の生涯を閉じた。
20歳のときに法律学を修めるため、 ライプチヒ大学に入学したが、音楽の才能を 認められ、オルガニストを経て、 当時最も有名な音楽家のひとりとなった。 その人気は、バッハやヘンデルを凌ぐほどだった。
27歳のころバッハと交わり、息子の エマニュエル・バッハの名付け親となっている。
1722年、ライプチヒの聖トマス教会のクーナウが 亡くなったとき、ライプチヒ市当局は「大作曲家」の テレマンを後任に依頼したが断られ、 「中位の音楽家で我慢しなくては」と仕方なく バッハを招いたという史実が残されている。
テレマンは作曲家として多くの作品を残したが、 宗教音楽、オペラ、管弦楽組曲、室内楽、歌曲の他、 あらゆる種類の楽器の協奏曲がある。
ターフェルムジークは、食事の際、その傍らで 演奏される音楽だが、十七、八世紀の宮廷や 貴族社会における一種の社交音楽をさす。
王侯貴族が、宴会その他の機会にお抱えの 音楽家によって演奏させたもので、テレマンは 3巻からなるターフェルムジークを作曲している。
それらは室内楽で、管弦楽組曲、協奏曲、 四重奏曲、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタと 演奏形態はいろいろである。
「協奏曲 変ホ長調」は、2つのホルンのための 協奏曲で4楽章からなる。
第1楽章 Maestoso 第2楽章 Allegro 第3楽章 Grave 第4楽章 Vivace

(管弦楽)ムジカ・アンティクワ・ケルン (指揮) ラインハルト・ゲーベル ♪ 私が聴いた音源 ♪
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