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...... 2023年06月09日 の日記 ......
■ 《 初めての交響曲 》   [ NO. 2023060901-1 ] sy

【 交響曲 ヘ長調「かちどきと平和」】

山田耕筰 〔日〕
(1886.06.09〜1965.12.29) 79歳



山田耕筰は、明治19年6月9日に東京で生まれた。
東京音楽学校本科声楽家を卒業後、
ドイツに渡りベルリン高等音楽学校で作曲を学んだ。

29歳のときに、わが国最初の交響楽団である
東京フィルハーモニー管弦楽団を組織し、
自ら指揮者をつとめたし、近衛秀麿と共に、
NHK交響楽団の前身である日本交響楽協会も
設立し、日本のオーケストラ活動の礎となった。

31歳のときには、ニューヨークのカーネギーホールで
自作の管弦楽曲を演奏し、欧米でも名の知れる
日本人音楽家の先鞭ともなった。

日本語独得の高低やアクセントと、日本特有の
リズム感を生かした歌曲のスタイルを作り上げ、
日本楽界最大の指導者として活躍した。

歌劇「黒船」、交響曲「明治頌歌」、ピアノ曲など
多くの作品を作曲したが、特に歌曲の
「中国地方の子守唄」「待ちぼうけ」「この道」
「からたちの花」「野ばら」「赤とんぼ」など、
日本語の特徴をいかした優れた作品を
数多く残していて名品が多い。

それらの手法を用いて作曲したのが
歌劇「黒船」だが、あまり演奏されることはない。
彼の作品はどれも高い芸術性を持っていて、
世界的に広く認められている

東京オリンピックが開かれた翌年の、
昭和40年12月29日に79歳で世を去った。

日本人として初めての交響曲となった
作品は、留学先のベルリン高等音楽学校の
卒業制作として1912年に作曲された。

完成から2年後の1914年に、東京で山田耕筰の
指揮で初演された。
副題の「かちどきと平和」は初演直後に勃発した
第一次世界大戦の影響を受けて初演の際に
つけられたと考えられている。

    第1楽章 Moderato
    第2楽章 Adagio non tanto e poco marciale
    第3楽章 Poco vivace
    第4楽章 Adagio molto - Molto Allegro e trionfante



(管弦楽)アルスター管弦楽団
(指揮) 湯浅卓雄     
     ♪ 私が聴いた音源 ♪




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