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...... 2023年06月05日 の日記 ......
■ 《 青年期の作品 》   [ NO. 2023060501-1 ] sy

【 交響曲 第2番 ハ長調 J. 51 】
         
ウェーバー,カルル・マリア・フォン〔独〕
(1786.11.18〜1826. 06.05) 39歳 結核
           

          
ウェーバーは座骨を患い、4歳になるまで歩行が
できなかったが、晩年も胸と喉頭の結核に冒されて、
医師から静養を命じられていた。

しかし、 ドレスデン歌劇場の指揮者に迎えられた
31歳のときに結婚したオペラ歌手のカロリーネとの
生活は、豊かなものではなかったため、長年
貧乏を味わってきた彼の家族に対する思いやりから、
無理を承知でロンドンでの演奏会の指揮をした。

その後病状は悪化し、この初演後二ヶ月足らずの
6月5日に異郷で不帰の客となった。

遺骸は18年後に息子マックスに守られ、
彼の芸術的な意志を継いだワーグナーの力添えで、
祖国に永遠の安らぎを得ることができた。

ウェーバーは20歳を迎えた1806年末から、
翌年の初めにかけて、ハ長調の2つの交響曲を書いた。

このころ、カール・スルーエ(ヴェルテルベルク王国)の
フリードリヒ・オイゲン公爵に招かれて管弦楽団の
指揮者を務めていて、この管弦楽団のために
作曲した作品で、交響曲はこの2曲だけである。

公爵は優れたオーボエ奏者として知られているほどの
音楽好きで、特にハイドンの作品がお気に入りだった、
そのために「交響曲 第2番」は全体がシンプルかつ
軽快に仕上げられ、ハイドン風の作品となっている。

この作品は、交響曲では唯一誰にも献呈されず、
また作品番号を与えてなくて、51は作品目録番号の
J番号(イェーンス番号)である。

        第1楽章 Allegro
        第2楽章 Adagio ma non troppo
        第3楽章 Menuetto - Trio
        第4楽章 Finale: Scherzo presto



(管弦楽)バイエルン放送交響曲     
(指揮) ウォルフガング・サヴァリッシュ
        ♪ 私が聴いた音源 ♪




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