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...... 2023年05月31日 の日記 ......
■ 《 最後の交響曲 》   [ NO. 2023053101-1 ] sy

【 交響曲 第104番 ニ長調「ロンドン」 】
       
ハイドン,フランツ・ヨーゼフ 〔墺〕
(1732.03.31〜1809.05.31) 77歳
            

              
ハイドンは28歳のときにウィーンの
かつら師ケラーの娘テレーゼに恋するが、
彼女は修道院に入ってしまい、
テレーゼの姉のマリア・アンナ・アロイジアと
結婚し、家庭を持った。

3歳年上の彼女は家庭的でなく、なによりも
自分の夫が音楽史上まれにみる才能に恵まれた
作曲家であることを、理解することができなかった。

2人の間に子どもはなく、ハイドンが65歳のときに
別居し、妻はリウマチに苦しみながら、
夫に先だって71歳で世を去った。

1809年2月7日、ハイドンは2度目で
最後の遺言状を作製した。
5月10日、ナポレオン軍がハイドン家の近くまで
進攻し、12日にはウィーンが占領された。

ハイドンは家庭の幸せを味わうことができず、
214年前の5月26日夕刻、衰弱のため昏睡状態に
陥り、31日午前0時40分、息をひきとった。
6月2日に行なわれた追悼式には、
ウィーンの音楽家たちが、モーツァルトの
「レクイエム」を歌って見送った。

ハイドンの遺骸は、1932年にハイドンの
生誕200年を記念して、ときのエステルハージ侯爵の
当主によって、侯爵家の菩提寺であるベルク教会内に
立派な廟所が作られ、そこの石棺に収納された。
頭骨は、ウィーン楽友協会の博物館に
収められていたので、全遺骸が合体したのは、
1954年になってからだった。

「交響曲の父」と呼ばれているハイドンの
最後の交響曲がニ長調「ロンドン」で、
1795年にロンドンで作曲された。
ハイドンの成熟を代表する最高傑作の一つで、
完璧な作品である。
「ロンドン」という呼び名は十九世紀になってから
つけられたもので、特に意味はない。

        第1楽章 Adagio - Allego
        第2楽章 Andante
        第3楽章 Menuet : Allegro
        第4楽章 Finale : Spiritoso



(管弦楽)フィルハーモニー・フンガリカ
(指揮) アンタル・ドラティ     
         ♪ 私が聴いた音源 ♪

アンタル・ドラティはフィルハーモニー・フンガリカを
指揮して、至上初となるハイドンの交響曲全曲を
録音している。




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