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...... 2023年05月24日 の日記 ......
■ 《 半音階的 》   [ NO. 2023052401-1 ] sy

【 交響曲 第1番 ホ短調 】
       
ハチャトゥリアン,アラム・イリイチ〔露〕
(1903.05.24〜1978.05.01) 74歳
            

              
現代ソ連音楽を代表するハチャトゥリアンは、
120年前の6月6日(グレゴリオ暦)に
グルジアの首都トビリシで生まれた。
両親はアルメニア人で、彼が生まれる少し前に
アゼルバイジャンから移住してきたばかりで、
製本屋をしていた。

19歳のときににグネシン音楽専門学校に入るまで、
正規の音楽教育は何も受けてなかったが、
外コーカサス地方の様々な民族音楽に親しむ機会は
多くあり、彼の音楽性を考える上で、
これらの民族の要素は重要な意味をもっている。
音楽学校では、初めにチェロをついで作曲を学んだ。

26歳でモスクワ音楽院に入り、ミャスコフスキーに
学んだが、後に彼の弟子だったニーナ・マカロワと
30歳のときに結婚した。

交響曲は3曲のこしている。

       交響曲 第1番 ホ短調(1934年)
       交響曲 第2番 ホ短調「鐘」(1944年)
       交響曲 第3番 ハ長調「交響詩曲」(1947年)

1935年から1935年にかけて作曲した
「交響曲 第1番」は、モスクワ音楽院の卒業作品だが、
アルメリアのソビエト連邦加入15周年を記念した
祝典曲として書かれたものでもある。

3楽章からなる、東洋系民族のもつ半音階的語法を
用いた、明るい色彩的な作品である。

      第1楽章 Andante maestoso con passione
      第2楽章 Adagio sostenuto
      第3楽章 Allegro risoluto

     1903年5月24日(グレゴリオ暦ー6月6日)





【 交響曲 第2番 ホ短調「鐘」】
    
ハチャトゥリアン,アラム・イリイチ〔露〕
(1903.05.24〜1978.05.01) 74歳
         

            
プロコフィエフ(1891〜1953)  
ショスタコーヴィチ(1906〜1975)

ハチャトゥリアンは、 ソヴィエト3巨匠と称されるが、
プロコフィエフは8曲、ショスターコヴィチ15曲、
ハチャトゥリアンは、 3曲の交響曲を書いている。

「交響曲 第1番」を書いた約10年後に発表した
「交響曲 第2番」は、ハチャトゥリアンの円熟した
手法がみられるもので、完璧な劇的展開、強い
叙事的表現に貫かれた優れた作品である。

ソ連では、第二次世界大戦を大祖国戦争と
呼ぶが、この曲はソ連人民の英雄的な闘いを
主題としている。
音楽において悲しみの要素と、怒りの要素を
対比という形をとってえがかれ、ここでも彼の
故郷コーカサスの民族的語法が活用されている。

この曲は、作曲の翌年1945年度の
スターリン賞第1席が与えられている。

4楽章からなるこの曲には「鐘」という愛称が
つけられているが、作曲者自身がつけたものではない。

第1楽章 Andante maestoso
第2楽章 Allegro risoluto
第3楽章 Andante sostenuto
第4楽章 Andante mosso -
      Allegro sostenuto



(管弦楽)ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
(指揮) ネーメ・ヤルヴィ              
               ♪ 私が聴いた音源 ♪




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