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...... 2023年05月25日 の日記 ......
■ 《 女学生のために 》   [ NO. 2023052501-1 ] or

【 セントポール組曲 】
      
ホルスト,グスターヴ 〔英〕
(1874.09.21〜1934.05.25) 59歳
    

         
イギリス国民から「ヘンリー=パーセルの再来」
とまでいわれ、最も敬愛されていたホルストは、
イングランド中部のチェルトナムで
音楽家の家系に生まれた。
父は教会のオルガニスト、母はピアニストという
音楽一家の中で育った。
( ヘンリー=パーセル 1659〜1695 )

彼は、作曲に興味を持ったが
両親はピアニストにしようと思っていた。
しかし、18歳のときに持病の右腕の神経炎が
悪化し、ピアニストの道は絶たれてしまい、
その後、本格的に作曲家の勉強を始めた。

音楽院を卒業するころには東洋哲学に関心をもち、
古代インドのサンスクリット文学や宗教を研究し、
その英訳もしている。

敵がないといわれるくらい円満な人格者で、
1905年からロンドン近郊のセント・ポール女学校での
音楽科主任をつとめながら、
あらゆるジャンルの音楽を作曲した。

49歳のときに指揮台から転落して脳震盪をおこし、
しばらくその後遺症に悩まされ、作曲家としての
人気は下降していったが、逆にゆとりをもって
新しい音楽の創造に明け暮れた。

1932年ハーバード大学の客員講師として招かれて、
アメリカに渡ったがその直後、病に倒れてしまった。
しかし、闘病生活の中でも
積極的な音楽活動を展開した。
帰国後の1934年5月25日に、出血性胃潰瘍のため
ロンドンで59年の生涯を閉じた。

彼の一人娘のイモージェンも作曲家、
ピアニスト、合唱指揮者、教育家として活動し、
父に関する著書も書いている。

「セントポール組曲」は、セントポール女学校の
弦楽オーケストラのために作曲した作品で「ジーグ」
「オスティナート」「間奏曲」「終曲」の4曲で、
終曲では「グリーンスリーブス」が対旋律に現れる。

         第1曲 Jig
         第2曲 Ostinato
         第3曲 Intermezzo
         第4曲 Finale,”The Dargason”



(管弦楽)セントポール室内管弦楽団  
(指揮) デニス・ラッセル・デイヴィス
        ♪ 私が聴いた音源 ♪




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