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...... 2023年05月06日 の日記 ......
■ 《 シャンソン風 》   [ NO. 2023050601-1 ] v

【 歌曲「お菓子と娘」】

橋本 国彦 〔日〕
(1904.09.14〜1949.05.06) 44歳 胃癌
     

         
橋本国彦は明治37年9月14日に東京本郷に生まれ、
東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学した。
1930年代前半まで作曲科はなかったので、
ヴァイオリンと指揮を学び、卒業後は
母校の教官に就任した。

30歳の時に文部省からの派遣で、オーストリア、
ドイツに留学し、帰国後は、母校で理論や
作曲を教え、作曲活動に励んだ。

指揮者として活躍した朝比奈隆は、彼の
ヴァイオリンの弟子のひとりだが、門下には
芥川也寸志、團伊球磨、黛敏郎らがいる。

1945年の敗戦の翌年、橋本は戦争中の活動
(時局音楽を書いていた)に対する責任をとって
母校の教授職を辞した。
戦時期から戦後の価値転換期へとかかり続けた
ストレスは、確実に橋本の心身を蝕んだようである。

亡くなる前年、癌に倒れ、鎌倉で闘病中に
キリスト教に帰依した。
昭和23年5月6日に44歳の若さで天に召した。

北原白秋作詞「城ヶ島の雨」や久保田宵二作詞
「富士山見たら」など、多くの歌曲も書いているが、
日本製のシャンソンともいえる西条八十作詞
「お菓子と娘」は、昭和3年(1928)に作曲し、
四谷文子の歌唱により、横浜で初演された。



お菓子と娘

お菓子の好きな 巴里(パリ)娘
二人そろえば いそいそと
角の菓子屋へ 「ボンジュール」

選る間も遅し エクレール
腰もかけずに むしゃむしゃと
食べて口拭く 巴里娘

残るなかばは 手に持って
行くは並木か 公園か
空は五月の みずあさぎ

人が見ようと 笑おうと
小唄まじりで かじり行く
ラマルチーヌの 銅像の
肩で燕の 宙がえり




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