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...... 2023年04月14日 の日記 ......
■ 《 リコーダーの人気 》   [ NO. 2023041401-1 ] co

【 リコーダー・ソナタ イ短調 Op. 1- 4 】
    
ヘンデル,ゲオルク・フリードリヒ 〔独〕
(1685.02.23〜1759.04.14) 74歳 白内障
       

        
ヘンデルは、バッハの生地アイゼナッハと同じ
中部ドイツのハレで、バッハより1ヶ月前に生まれた。
           
バッハの家系は、ヨハン・セバスチャン・バッハから
四代前の十六世紀末から、息子たちの世代である
十八世紀の末にいたるまで、200年にわたり
50人以上の音楽家を輩出しているが、ヘンデルの
家系には父方にも母方にも音楽家はいなかった。

バッハは一生の間、ドイツ以外に足を踏み出した
ことがなかったが、ヘンデルは若くしてイタリアで
オペラを学び、さらにイギリスに渡ってそこを
第2の故国とし、この世を去ったのはロンドンだった。

72歳ごろから白内障のため作曲が出来なくなったが
コンチェルトの指揮や、オルガン・コンチェルトの
演奏で活躍していた。

最後の演奏会の一週間後の4月14日、受難の
土曜日に、静かに世を去った。
それは、白内障の手術を受けた数カ月後のことだった。
バッハが手術を受けた医師のテーラーの手術の
失敗だったといわれている。

8曲からなるチェンバロ組曲は、大組曲とも
呼ばれているが、組曲第5番は「調子の良い鍛冶屋」
として知られている終曲をもっていて、
ヘンデルの組曲のなかで最も有名な曲である。

終曲の第5番は、ヘンデル自身は「アリアと変奏」と
だけ題していて、「調子の良い鍛冶屋」という題は、
彼の死後、イギリスの出版者が
勝手につけたものとされている。

鍛冶屋の徒弟がこの主題を気に入り、仕事を
しながら絶えず口ずさんでいたので、人々が彼に
「調子の良い鍛冶屋」というあだ名をつけたとも
言われているが、これは全くの創作のようである。

イギリスはルネサンス以来、リコーダーに対する
人気が大変根強い国で、特に18世紀前半に、
リコーダーの人気が高まり、ジャンバティストルイニ、
フェープシ、ボノンチーニやヘンデルが
リコーダーのための作品を書いた。

「リコーダー・ソナタ イ短調」もこのころに
作曲されたのではないかと考えられている。

         第1楽章 Larghetto
         第2楽章 Allegro
         第3楽章 Adagio
         第4楽章 Allegro



(リコーダー)  マリオン・フェア・ブリュッヘン
(ハープシコード)トン・コープマン       
(チェロ)    ヤープ・テル・リンデン    
             ♪ 私が聴いた音源 ♪




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