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...... 2023年04月01日 の日記 ......
■ 《 舞台神聖祝典劇 》   [ NO. 2023040101-1 ] o

【 楽劇「パルジファル」】
     
ワーグナー,リヒャルト 〔独〕
(1813.05.22〜1883.02.13) 69歳 心臓障害

ワーグナー,コジマ 〔独〕
(1837.12.25〜1930.04.01) 93歳     
         

            
コジマの父はリスト、母はマリー・タグー伯爵夫人
だが、2人は10年以上にわたり愛人関係にあり、
2番目の子供としてイタリアで生まれた。

20歳のときに、リストの弟子で7歳年上の指揮者、
ピアニストのハンス・フォン・ビューローに嫁ぎ、
2人の子供をもうけた。

ワーグナーと知り合ったのは25歳だったが、
3年後には2人の間に長女が誕生し、翌年に
同棲生活を始め1867年に次女を、
1869年に長男が生まれた。

その翌年になってから、ビューローと正式に
離婚をしワーグナーと再婚した。
コジマ32歳、ワーグナー57歳のときで、別居していた
妻のミンナが亡くなった4年後だった。

ワーグナーは、一生の仕事として文学、音楽、舞踊の
3芸術の統合された“楽劇”を完成させた。

32歳のころ、ドイツの古い伝説を研究していたが、
その後「パルジファル」の物語に興味をもち、
台本に作ることを決意した。
だが、その草案が出来たのは61歳のときだった。

バイエルン国王ルードヴィヒ二世の勧めもあって、
この台本が完成したときは64歳になっていた。

コジマは、父リストの血を受けて、カトリックの
教義に関して熱心な探究をしていたので、
彼女の影響力も大きかった。

作曲はまもなく着手したが、病気になったり
したために、療養地のパレルモで全体が完成したのは、
亡くなる1年前のことだった。

十字架上のキリストの血を受けたと称する器
「グラールの聖杯」を祀る光輝にみちた寺院のある
モンサルヴァート国を統治していたのが
パルジファルであるが、その聖杯は、一生を捧げた
騎士たちによって守られていて、聖杯守護の騎士の
1人である息子が、歌劇「ローエングリン」に登場する。

ワーグナーは、この楽劇を作るにあたり、主として
3つの物語から暗示をうけていた。

完成した「パルジファル」は、その年の1882年
7月26日に初演され好評を得たが、病弱となった
ワーグナーは秋に、子どもたちと共にヴェネツィアに
滞在し療養をしていた。

その地で、義父のリストよりも2年年下の
ワーグナーは、リストが亡くなる3年前に69歳で
心臓障害のため急逝したが、コジマに抱かれて
息を引き取ったといわれている。

遺体はバイロイトに移され、私邸(バーンフリート)の
庭の墓地に埋葬された。
その時14歳だった長男のジークフリートは、
後に父ワーグナー音楽の指揮者兼作曲家となり、
コジマと共にバイロイト音楽祭を取り仕切り
音楽界に大きな影響をあたえた。

コジマが夫の隣に眠ったのはワーグナーが
世を去って47年後の4月1日のことだった。

彼女は1869年からワーグナーが亡くなる
1883年まで日記をつけていて、後に出版されている。



* 第1幕 前奏曲

(管弦楽) フィラデルフィア管弦楽団  
(指揮)  クリスティアン・ティーレマン
        ♪ 私が聴いた音源 ♪
 



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