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...... 2023年03月29日 の日記 ......
■ 《 ボヘミアの民族的色彩 》   [ NO. 2023032901-1 ] e_sy

【 交響曲 第5番 ヘ長調 Op. 76, B. 54 】

ドヴォルザーク,アントニン 〔チェコ〕
(1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 脳溢血



ドヴォルザークは交響曲を9曲書いた。
彼の生前、番号なしの2曲(第3、第4)と
第1番から第5番(第6、第7、第5、第8、第9)が
出版され、永眠後、後の2曲(第1、第2)が現れた。

    第1番 ハ短調 作品3, B. 9「ズロニツェの鐘」(1865年)
    第2番 変ロ長調 作品4, B. 12 (1865年)

    第3番 変ホ長調 作品10, B. 34 (1873年)
    第4番 ニ短調 作品13, B. 41  (1874年)

    第5番 ヘ長調 作品76, B. 54  (1875年)
    第6番 ニ長調 作品60, B. 112 (1880年)
    第7番 ニ短調 作品70 ,B. 141 (1885年)
    第8番 ト長調 作品88, B.1 63 (1889年)
    第9番 ホ短調 作品95, B. 178「新世界より」(1893年)
    
ドヴォルザークの作品には、作品番号のないものや、
作曲順になってないものが多いので、ブルグハウザーが
整理して付けた番号が「B.」で略記されることがあり、
「B番号」と呼ばれている。

1873年から1875年にかけて第3番から第5番までの
3曲を毎年一曲ずつ相次いで作曲している。
それは、彼がオーストリア政府の奨学金の審査会に
提出する目的で書かれたものだった。

第3番では、リストやワーグナーの影響があり、
楽章構成も唯一3楽章の形だが、この作品で多額の
奨学金を得られ、審査員だったブラームスの
支持を得る契機ともなった。

第4番は4楽章構成に戻り、古典主義的な
構成的交響曲の延長戦上にある新しい創作を
意識したかのような構想をしめしていて、
ワーグナーの影響が感じられる。

その後に書かれた交響曲においても、再び
ボヘミアの民族的色彩を強めていることなど、
作風への転換を示唆してようである。

スラブ風の牧歌的でのどかな主題で始まる
第5番は、終楽章では、ブラームスとワーグナーの
「ワルキューレ」からの和音進行の影響がみられる。
激しさに満ちた曲想へと変化するが、
「まるで子羊がライオンに変わるような
感じがする」とこの作品を表現する人もいる。

1875年に完成し、翌年の3月29日にプラハで
アドルフ・チェフ指揮、国民劇場管弦楽団の
演奏で初演された。

ドヴォルザークの良き理解者で、指揮者、ピアニストの
ハンス・フォン・ビューローに捧げられた。

     第1楽章 Allegro,ma non troppo
     第2楽章 Andante con moto
     第3楽章 Andante con moto,quasi I”stesso tempo:
          Allegro Scherzando
     第4楽章 Finale: Allegro molto
       


(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ラファエル・クーベリック     
            ♪ 私が聴いた音源 ♪
 
  
     

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