 【 逝ける王女のためのパヴァーヌ 】 ラヴェル,モリス・ジョセフ 〔仏〕 (1875.03.07〜1937.12.28) 62歳
 ラヴェルは、スイス人技師の父とスペイン国境に 近いピレネー山地のバスク地方のシブールに 住んでいたスペイン人の母との間に、148年前の 3月7日に長男として生まれたが、 3ヶ月後にはパリに移り定住した。
父ピエールは発動機工業の先駆者のひとりであり、 2行程過給エンシンの発明者として 著名な存在であった。
3年後に弟が生まれ、若いころから音楽を 愛好していた父は2人の息子を音楽家に 育てたいと望んだ。 しかし、音楽の道に進んだのは兄のラヴェルだけで、 パリ音楽院で学んだ。
「 逝ける王女のためのパヴァーヌ」は、ラヴェルの 9番目の作品で、1899年にピアノ曲として作曲し、 1910年にラヴェル自身により管弦楽曲として、 編曲された。
ピアノ曲はパリ音楽院在学中に作曲した初期を 代表する傑作で、ルーブル美術館にある17世紀 スペインの宮廷画家のベラスケスが描いた マルガリータ王女の「若い姫君」の肖像画に 霊感をえて書かれたといわれるが、ラヴェルは、 フランス語で韻を踏む言葉遊びをしたようだ。
フランス人の趣味に訴える感動的な優しさと 感傷と悩ましさをもっていて、典雅で、荘重な パヴァーヌ舞曲のピアノ曲は、魅力ある クラシックとして、多くのピアニストのレパートリーに 加えられ、成功した曲だったが、シャブリエの 影響が大きく、ラヴェルは満足してなかった。
しかし、オーケストレーションされたことで、 原曲よりも一歩進んだ純芸術的な価値を示し、 オーケストレーションの巧妙さによって、 彼の才能の豊かさを証明することになった。
18年後に作曲した「ボレロ」の組み立てを 暗示させるところが多くある。 スペインの民族音楽の色彩的官能美にひかれたことも ラヴェルの創作の土台となっていて、彼の作品は 色彩豊かな表現の世界を作り上げている。
パヴァーヌは、16世紀から17世紀にかけて ヨーロッパの宮廷で普及していた舞踊だが。 この曲は「昔、スペインの宮廷で小さな王女が 踊ったようなパヴァーヌ」だとしている。

(ピアノ)パスカル・ロジェ ♪ 私が聴いた音源 ♪

(管弦楽)ソビエト国立交響楽団 (指揮) エフゲニー・スヴェトラーノフ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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